2017.05.09

人と猫

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「人と動物の絆」執筆開始から5年、気づけば私はこれまで一度もネコのことを書かなかった。

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世界中の海辺で、カフェで、路地裏でネコとすれ違い、カメラに収めているのに、私はネコに触れたことも抱きかかえたこともなかった…。

私が猫との接し方を知らないのは、きっと、あの日からだ。

あの日、帰宅して玄関の扉を開けると、野良猫が我が家に侵入していた。共に暮らしていた愛犬が猫に襲われる・・・愛犬も私も悲鳴をあげるだけで何もできなかった。その時の猫の跳躍、猫パンチ、猫が本当に恐ろしかった。幸いにも、愛犬は無事だった。もしかしたら、猫も私たちと仲良くしたかっただけだったのかもしれない。私はあの日以来、猫に触れることはなかった、いや、できなかった。

「お邪魔しまぁす」
時を経て、私は親戚の家で一匹のネコと出会う。名前をハナという。玄関の扉を開けると、ハナは階段にちょこんと座り私をじっと見つめていた。漆黒の艶やかな毛、鼻の下の黒いブチ、白いハイソックスを履いたような長い手を揃え、黄色い眼光はまるでイエローサファイアのような輝きの雌猫、ハナ、3才。

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「ハナちゃん、こんにちは」
私が近づこうとすると、さっと身を翻し、踊り場の陰から瞳と耳だけちょこんと出して私を観察している。あぁ、犬とちがう。尻尾を振って私に愛想をふりまかない…。実は、ハナも私と同じくトラウマを抱えていることを知る。過去に、この家に侵入した野良猫に襲われたのだという。

「ギャーッ」とハナの悲鳴を耳にした主が階下に駆けつけると、ぶるぶる震えながらも、お世辞にも強いとはいえない猫パンチで格闘しているハナがいた。
この野良猫も、本当はハナと仲良くしたかっただけなのだ。しかし、この騒動以来、ハナは一歩も外出をしなくなった。一度だけリードを付けて散歩に出るも、はじめての世界に興奮し、虫が来ても動かず、主に引きずられるように散歩をしたそうな。ハナにとって、外の世界は眺めているだけで充分。完全なるイエネコである。

しかし、この平和な家の中でも天敵はいる。
子供だ。執拗に追いかけてくる子供にハナは牙をむいて鳴いた。

「しつこくしないでよッ!ニャーーーー!!」
どうしてそんな隙間に入ることができるのかと感心するほど、狭いテレビの後ろ、食器棚の後ろ、本棚の中、あらゆる隙間に身を隠し、子供から逃れようとするハナに私も終いには同情してしまう。

ハナに好かれたい私は、クールな態度で絶妙な距離を保った。ハナを観察しながら、コタツで書き物をしていると時々、水を飲みにやって来た。その度に私を一瞥し、暖かそうな場所を探しては去っていく。しばらく書くことに集中していると、やがて、ハナが私の隣に座った。両手をそろえ、私を見上げて「ニャー」と猫なで声でお願いをしてきた。

「コタツの中に入りたいにゃー」と。
お嬢様は自力でコタツ入れないのだった。やれやれ、布団をめくるとハナはコタツの闇に消え、香箱座りをして、とろんとした目で私を見つめていた。

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私は、この日、初めてネコを抱きかかえた。はじめは緊張していたハナも、少し慣れてくると、セーターのぬくもりが心地よいのか、次第におとなしくなり、今にも眠りそうな目で私の腕の中で丸くなった。前日、主によってきれいに洗われた毛はふさふさで、薄いピンクと黒いブチの肉球が愛らしい。ハナの横顔は、よく見ると人間のようだ。鼻のラインも、まつ毛も、本当に人間に見えてくるから不思議だった。

甘えたあとに私の腕の中から去っていくときの見事な跳躍。猫と犬のちがい、それはこの去り方。振り返らず、知らぬ顔して去っていくあの後ろ姿。

「あなたとは何もございませんでした」
まるでそう言っているように。やっぱりツンデレなのだ。

親戚の子供たちが引っ越しをするという日、春キャベツを届けに来た近所の女性が子供たちに声をかけた。

「たまには遊びに来てあげて。ばあばが悲しむよ」
すると、「ハナがいるから大丈夫よ。さみしくないでしょ」と子供たち。「でも、猫はお話できないわよ」と、女性が言った。しかし、ばあばは言う。「ハナはお喋りしているの」。

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毎朝、ばあばがガラガラとシャッターを開けると、必ずハナが来てニャーと鳴く。それは「おはよう」の挨拶。また、毎晩、ばあばが眠りにつく前に必ずニャーと「おやすみ」を言いに来る。食事を終えると、ぷるぷるっと手を振るのは「ごちそうさま」の合図。嫌いなものを出されると初めからぷるぷるっと手をふり、口をつけないお嬢様でもあると。朝、目が覚めふと横を見ると、正座したハナが畳に両手を揃え、布団の中の私を見下ろしていた。

「ハナちゃん、おはよう」
私が挨拶してもハナはニャーともにゃんとも言わない。無言で私を静かに見つめているだけだった。警戒心がまだ解けていないのか、相変わらず素っ気ない。猫とお喋りする日は私にはまだ遠いようだ。

「世界から猫がいなくなったら、どうなる?」
親戚の子供に問われた。世界から猫がいなくなったら?
そうね・・・やっぱり、ばあばが悲しむわね。

あの国の海辺のばあばも、あの国のカフェのばあばも、あの国の路地裏のばあばも、世界中のばあばや、じいじが悲しむわね。

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クロアチアの海岸で猫に鰯を分け与えていたカフェのおじさんも、
イギリスの魔女も、ルーマニアの魔女も、
パリのマルシェの八百屋のご主人も、藤田嗣治氏も、
プロヴァンスでひとり朝食をとっていたあの朝の私も、
タヒチ島の空港のベンチで眠る猫を大切に抱いていたあの子供も、
中国の武当山のお寺のお坊さんも、
ノルウェーの明るい家のあのファミリーも、
メキシコの台所でトウモロコシを臼で挽いていたあのお母さんも、
スリランカの漁港で魚をあげていたあの漁師も、
背中に子供をおぶりながらチチャ酒を造っていた働きもののペルーのお母さんも、その背におぶわれていた子供も、
2000年以上前に猫をミイラにしたその主も・・・

みんな、みんな悲しむわね。

ネコは、いつの時代にも、どんな場所でも、人の機微に寄り添っているのだから。

2012年より5年間にわたって続けてまいりました連載コラム「坂本三佳 人と動物の絆」は今号で終了いたします。
毎月読んで下さった方々、取材にご協力下さった方々、陰ながら支えて下さった方々、私が世界で出逢った人と動物、人と人の絆の数々に、心より感謝申し上げます。5年間、ありがとうございました。

坂本 三佳

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