2016.11.08

ハワイ島東海岸-ヒロ&ホノム

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からっと晴れたオアフ島から一変、ハワイ島ヒロ空港に降り立つと、気だるい雲が島を覆い、風は湿り気を帯びていた。彼女が懐かしそうに「20年前と変わっていない」とつぶやいた。

買い物客で賑わうワイキキとは違い、ここはまるで時間が止まったようだった。木造の空港、のんびり歩く人、静かな町…

「ようやくハワイにやって来た」
体中に酸素が行きわたる…少し憂鬱で不安げな天気でもふしぎと懐かしく穏やかな気分になった。

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空港からほどないヒロ港の一角、リリウオカラ二ガーデンのすぐそばに「SUISAN(スイサン)」という名のフィッシュマーケットがある。1907年創業、山口県沖家室出身である松野亀蔵が同じく沖家室出身である魚行商人、北川磯次郎と共に設立したヒロスイサン株式会社(Hilo Suisan Company)。その当時はヒロに約80人あまりいたという日本人漁業者、魚仲買人、小売り商人たちが活躍したという。
この漁業会社は水揚げされた魚介類の流通経路を確保するだけでなく、漁船の造船、漁業に必要な経費も調達し、漁業者を育てる役割を担っていた。また缶詰工場などと連携し、水産業全体の中核的存在だった。SUISANの発展はすなわち、ハワイ島における日系の商業漁師の発展だったそうだ。

彼女が20年前にここを訪れた時は毎早朝、水揚げされたばかりの魚が並び、周辺の漁師さんたちによる魚の競り市で賑わっていたそうだ。

「うちのお父さん、バケツに入れられた大きなマグロをひょいっと持ち上げて満面の笑みで記念撮影していた。」と。

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しかし、ハワイ島の名物だったSUISANの競り市が、2004年に閉鎖に追い込まれた。

アメリカ食品医薬品局(Food and Drug Administration;FDA)が施行したHACCP(ハセップ)という衛生管理手法の適用によって、SUISANは改善命令を受けたのだ。

HACCP(ハセップ)とは一体なんなのか。それは「問題のある製品の入荷を未然に防ぐ衛生管理法」だという。

Hazard Analysis and Critical Control Point:危害分析重要管理点(危害要因分析に基づく必須管理点)

商品化してから危険を見つけて販売中止にするのではなく、生産過程のなかで随所衛生面のチェックを行い、必要な書類に記入をし、連続的に監視するシステム。食の安全に対して敷かれた「国際標準」である。

この手法、宇宙飛行士用の食糧の安全確保のために開発されたもので、アメリカの食品会社ピルスベリー社が開発。生産過程の安全性が確保されているので、原材料が安全であればそのまま製品も安全であると言える、という考え方だ。

SUISANの競り市は、この衛生管理の基準に達しておらず、チェック項目にOKをもらえなかった。

「コンクリートの地べたに水揚げされた魚が直にそのまま横たわっている。」「衛生的にどうなの?」
「水揚げした魚は、33℃以下で保存する必要がある。」
「地べたで常温で競りにかけるなんてナンセンス。」
衛生管理の基準ではそのようにとらえられてしまった。

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SUISANの従業員さんはこう語った。
「この100年クレームは無かったし、今まで一度も事故は起きていないのに、、、。サニタリーエリアにしなければいけないとか、アイスできちんと保存しなければいけないとか、そうするにはとてもコストがかかるんだ・・・。けれど、建物自体も築100年経過し老朽化している。これを機に競りは閉鎖することに決めたんだ。アメリカの法律だ。仕方がないよ。」

競りの醍醐味はなんだろう。
「やっぱり、見ていて楽しいでしょう。朝、水揚げされたばかりの魚が並んで、漁師が集い、お客さんもみんな楽しいはずだ。」

2020年東京五輪・パラリンピックに向けて、HACCPは確実に日本に影響していくのでないか。築地市場もアメリカのHACCPを導入するのだろうか。

「そんなん、やらんでいい」と言った店は閉店なるのだろうか。国際基準に達していなければ営業許可が失われ、営業停止。それがこれからの衛生管理。国際的に認められた清潔と国民の安全の基準。

私の突然の訪問にもかかわらずSUISANの従業員さんは対応してくださったが、「今はとても忙しいから、また明日出直してくれる?」と言われ、私たちは礼を述べ、店を後にした。楽しみにしていた新鮮なポケ丼(まぐろの漬け丼)を食べ損ねたことに気づいた…。

ホノムの町

私たちはヒロ湾沿いを北上した。道中、左手には墓地があり、墓石には日本語が刻まれているのが見えた。かつて海を渡ってヒロへやって来た日本人の墓地。ハワイにいるはずなのに、日本の街道を走っている錯覚に陥る。

アカカ滝に通じる町、ホノムにたどり着いた。木造の素朴な家屋が10軒ほど軒を連ねている静かでのんびりとした小さな町。明治時代から多くの日本人がここに移住した。

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「ISHIGO’S – Since 1910」という看板の家屋の中に「Mr.Ed’s Bakery」というパン屋さんがある。ショーウィンドーの中を覗くと、ココパン、あんぱん、ミートパイ・・・なんだか、懐かしさを感じる。

店の奥に立派なおひげをたくわえた白髪のお父さんが座っていた。彼こそがEd’s Bakeryのエドおじさんだった。エドさんが温和な笑顔で店の奥から出て来てくれた。とても背が高い。若いころはさぞかしモテたであろう笑顔が素敵なハンサム。店内にはエドさんの手作りジャムが150種類以上もずらりと並んでいた。

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一番のおすすめだという「Lilikoi」のジャムを味見させてもらうと、ほのかな酸味、ハイビスカスの甘い香りが口の中いっぱいに広がった。
「ジャムはすべて、この村で採れたもので作っているんだよ。」
「パンの作り方はISHIGOさんから教わったんだ。彼は、2013年100歳で亡くなってしまった。」 ISHIGO’s という看板をそのままにしているED’s Bakery。ISHIGOさんから引き継いだパンは、日本の味がした。

ホノム生まれの奥様ジューンさんのご両親は沖縄のご出身で、ジューンさんは日系4世。とても可愛らしい奥様。約50年前、アメリカ・カリフォルニアの大学でエドさんとジューンさんは出逢い、お二人はカウアイ島で学校の教員として働いていたが、両親の面倒をみるためにホノムに戻ってきた。「私は、一度も日本を訪れたことがない」というジューンさんだが、どこか日本的な心を感じる。

エドさんは一時期、怪我で休業中だったと伺ったので「具合はいかがですか?」と尋ねた。すると、エドさんがズボンの裾をまくり上げ私たちに見せたのは、右膝から下の義足だった。それほどの大事だったとは・・・。 しかし、エドさんは穏やかな笑顔でこう言った・・・

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“No Pain. I can do anything.”
“I love my job because I meet wonderful people. I like to share…”

「痛みはないよ。なんだって出来る。僕は自分の仕事を愛している。すばらしい人たちに出逢うことができ、人と分かち合うことが好きなんだ。」

ジャムを作ることをこよなく愛し、パンをつくることに喜びを感じている。今いる場所、自分の仕事、自分の人生に幸せを感じている。とても自然にそう語るエドさんの言葉と笑顔に、逆に私の心が救われた。

決して他のせいにしない。「ポジティブ」というものはがんばってポジティブになるのではなく、ごく自然に出てくるものなのだと気づかされた。エドさんは、愛と感謝のかたまりのような人だった。

ワイキキに集まっているような世界の流行の食品はここにはない。日本ではもう出逢えない日本に出逢えるような町。古き良き日本がこの島に保存されているような気がした。どうか、100年先も玉手箱のようにこの町が残っていてほしい。そう、願わずにはいられなかった。

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