2016.10.11

キムンカムイ‐山の神

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全国で熊被害が相次いでいたちょうどそんな折、私はアイヌの人々がヒグマを「キムンカムイ(山の神)」と呼んでいたことを知る。
「山の神」と熊を敬ったアイヌの自然観とは一体どのようなものだったのか私は関心を抱いた。

北海道の南西部、白老町。ここは和人(日本人)が入植した遥か昔からアイヌの大集落があった場所で、今でもアイヌの人々が住んでいる。

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白老町のアイヌ民族博物館「ポロトコタン」では、野外にアイヌのコタン(集落)が再現され、チセと呼ばれる住居の中ではアイヌ独自の文化やならわしを学ぶことができる。チセ(家)の他にはプ(食糧庫)、へぺレセッ(熊檻)が設置され、檻の中ではヒグマが飼われている。

どうやらアイヌの人たちは昔から、春先の雪解けの時期に北海道犬を伴い、冬眠中の熊を狩り、生け捕りにした仔熊を1~2か月ヘペレセッ(熊檻)で神の子として大切に育てていたようだ。そして、翌年の2月ごろ「イオマンテ(熊の霊送り)」という盛大な儀式をおこない、熊を神の国へ送り返していた。

この「霊送り」という儀式は、フクロウ、エゾシカ、魚などあらゆる小さな命に対しても行われていたが、人間に多くのものを与えてくれる熊の霊送りイオマンテは、それらの中でも最も重要とされ、とりわけ盛大に行われていた。

「アイヌの人たちは、神様が熊の姿で人間界のコタンを訪れると考えていました。外見は熊にしか見えないけれど、熊の姿をした神が毛皮や肉を分け与えてくれるのです。」

ポロトコタンで働くアイヌの男性が私にそう語ってくれた。

アイヌとは「人間」。それ以外はみな「カムイ(神)」。
熊に限らず、この世の生物、自然、家、物、災厄もみんな神様だった。

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博物館の男性はカムイについてこう語る。
「アイヌ(人間)にとって、この世に"絶対に正しい"ということは無く、いい神様もドジをするし、悪い神様だっていいことをする。アイヌの思うカムイは、まるで人間のようでもあるのです。」

熊の霊送り「イオマンテ」は、最も大事な神事として男だけで行い、女性はそばで見ていることもタブーだったという。驚くことに、仔熊を育てていく過程では、子供のいる女性はその女性自身の乳房を仔熊に含ませて母乳を与えたともいわれており、それほど我が子のごとく神の子として大切に育てた。

熊が人間の手には負えないほど大きく成長すると、いよいよイオマンテの儀礼が行われる。熊の旅立ちの装いは、草鞋を履き、着物を纏い、脚絆(きゃはん)をつけたアイヌの装い。

そして神の国へ旅立つ熊に、より多くの神様にお分けしていただけるよう持たせるお土産の団子、干し魚、飾り玉、弓と矢、短刀、イナウ(木幣)。また来る年もアイヌのコタン(集落)を訪れ、恵みを賜りますようにと祭壇の前で祈り、家族同然に育てた仔熊の霊を丁重に見送る盛大な儀式である。

狩猟民族であるアイヌにとって、集落から一歩出れば熊が歩いている自然界。どの季節に、どんな場所で熊に会うか。熊に遭遇したらどう行動するのか、アイヌは自然界を知り尽くしていただろう。

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アイヌが熊に抱く畏怖の念、寒さや飢えに対する自然への恐怖。それを知っているから自然や生き物との対話は必然であったに違いない。アイヌにとって生き物を殺すということは、単なるスポーツハントではない。熊の命という大きな恵みに心から自然に出てきた行為が「イオマンテ」となったのではないだろうか。

農耕牧が行われる前、日本人が狩猟民族として生きていた縄文時代、その期間は1億3千万年とも1億8千万年ともいわれている。
この国に現れ、この国で生きてこられたということは、この国の魚や木の実、山の命が豊かであった証である。

日本の神話には、最初に登場してすぐに消えてしまうアメノミナカヌシノカミという神さまがいらっしゃる。
最初に一瞬だけ登場して、それ以降は一切現れず姿を見せない。
一体、神さまはどこへ消えてしまったのか・・・。

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神さまは、消えたのではなく、空気となったのではないか。
空気となった神さまは、私たちの生命、細胞の一つ一つに息吹を吹き込み、宇宙そのものになった。
アイヌがすべてのものに見出していたカムイとは、この消えた神さまアメノミナカヌシノカミなのではないだろうか――。
大切な生命の根源とは何であるか…目には見えないけれど、普段は格別に意識はしないけれど、それが無いと死に至るもの――。

すべての自然、そこにカムイが宿っているということ。
アイヌが熊を山の神の化身と敬っていたこと。
入山するとき、きちんと山の神さまに挨拶をしたこと。
懸命にカムイをお迎えして、懸命にカムイをお送りする。アイヌ(人間)は自然(カムイ)を征服していなかった。
熊が人を襲う…あまりにも相次いだその事象――。
自然が調和していくための礼儀作法が、私たちの中に失われつつあるのではないかと私は気づかされた。

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