2016.09.13

馬と人間が刻む人生のレース

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ばんえい競馬

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レース開始の合図と共に一斉にゲートが開いた。観客の歓声が轟く。馬は重たいそりを輓いて、一歩、一歩、ずっしり、ずっしり、踏ん張って、踏ん張って、直線のコースを前進する。

いつのまにか、私は拳を握りしめ応援に力が入っていた。
「がんばれ!」

助走もつけず発進し、ゆっくり、しかし確実に前へ前へ進んでいる。
馬銜(はみ)を噛んだ馬に、そり上の騎手は手綱だけで馬を操る。
そりの上で騎手は手綱以外に掴まるものがない・・・その状態での馬の操縦!
馬が輓いている荷物は、競走別に設定され、最低重量が480kg(牝馬は460kg)、重賞競走では最高重量1000kg(牝馬は980kg)にもなるという!
体重1トンの馬が、1トンの荷物を輓く・・・
その姿は、ただただ圧巻である。

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馬は、レース中、何度も“刻む”。途中で止まって息を整え、障害の"山"を越えていく。体中から蒸気を発した馬の鼓動が伝わってくる。

コースの掲示板には馬場水分量も示されている。雨の日には水分量が4%になるという。鉄のそりの摩擦によって舞い上がる砂塵。地面は湿っていたほうがスピードが出やすいそうだ。この日の水分量は1.1%だったが、あっという間に視界は砂塵で遮られた。

私が応援していた"ワタシノユメ"は、敗れた。
レース終了後、わかってはいるけれど、「万が一」があるかもしれない…と、換金する機械に自分が買った馬券を投入してみた。

「お客様の馬券は的中外です」
・・・・・分かってはいたけれど。

この夏の夜、ゴール寸前に勇ましい追い上げで優勝したのは、 "オレノココロ" だった。

馬と刻む時

翌日、朝調教にお邪魔した。朝靄の中、鉄のそりをひいた馬が、ゆっくり私に近づいてくる。その大きさに圧倒され、私は思わず後ずさりをした。

「はじめまして・・・」

以前、同じく競走馬のサラブレッドにお目にかかったことはあったが、輓馬(ばんば)がこれほどまで大きな馬だとは、私の想像を越えていた。

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「大丈夫、やさしいから。馬の体を撫でてごらん」輓馬とは対照的に小柄で華奢な女性調教師、谷あゆみさんが私を誘った。

首元に手を当てると、馬体は汗でびっしょりだった。蒸気が立ち、胴からは汗がぽたぽた滴り落ちていた。

「馬も汗をかくのか・・・」
触れた体は湯たんぽの様に熱い。腹と背を上下させ、息があがっている。まるで、相撲の稽古を終えたお相撲さんのように…。圧倒的な迫力だが、馬の目はいつだって優しく、どこか儚なげだ。

おでこに白いトレードマークのある青毛の彼女は、センショウレディ(5歳)という名で、昨夜優勝したオレノココロ(6歳)の妹だった。

谷さんは、輓馬に惹かれた理由をこう語る。「でっかい馬に触りたかったの。華麗さよりも、もっさいのがよかった。本の中でしか見た事のない様な馬。」

谷さんは、ばんえいの土臭さに惚れてここに住み、23年の月日が経つという。
現在は4歳の息子さんと厩舎で、馬と隣合わせの生活を送っている。

「今、呼吸している。あ、今お尻掻いてるな。そういう馬の仕草すべてを隣の部屋で感じている。」

「あ、谷、また馬と喋ってる・・・と、よく言われます。」

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朝調教で馬と歩く距離は、馬の体調によって300mのときもあるし、2000mのときもある。谷さんの口ずさむアヴェ・マリアの美しい調べに乗って馬が歩く。
センショウレディの豊満なお尻で私の視界が遮られている。チャーミングな谷さんは、それを馬尻(バケツ)と呼ぶ。土臭く逞しく、なんとも愛しいバケツ。
小柄な谷さんと私をそりに乗せたセンショウレディが豊満な体で前を行く。

センショウレディと谷さんと私…気づけば、この朝調教は馬そり女子会デートだった。小柄な谷さんと私をそりに乗せたセンショウレディ。美しい歌声を聞きながら馬の足取りが心なしか軽くなっているように感じる。まるで異国で馬車に乗っているような錯覚に陥る。試したがりな私は、そりに触れ、押したり引いたり動かそうと試みた。あたりまえなのだが、びくともしない…本当にびくともしない。全くあたりまえなのだけれど。?そして、谷さんは私にこう言った。
「かつて、ばんえい競馬廃止の危機に見舞われたとき、なんとかして輓馬は残したいと強く願いました。北海道輓馬がいなくなったら、北海道の農耕の血、開拓の血を受け継ぐものがいなくなってしまう…そう思ったのです。」

開拓の血

かつて北海道で、馬は一家に一頭、家族の一員だった。雪道では、そりに乗って学校に通っていた人々がいる。馬の輓くそりに丸太を乗せ、山を登り降りさせた。除草、収穫、運搬、種まき。開拓する農家にとってなくてはならない存在だったのだ。

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屯田兵が道内の開拓に力を入れた明治時代、帯広と十勝は移住してきた民間の人々によって開拓されてきた。

林業や農業に使役する馬の力比べが、ばんえい競馬のルーツとなっている。誰の馬が一番力が強いか、お祭りの余興で馬の力を競った事が始まり。その力比べが、ばんえい競馬のルールにも残っている。「ゴールは馬の鼻ではなく、そりのお尻がきちんと通過するまで」。それは、「荷物を最後まで運びきること」が、輓馬の使命であるという考えから。

まさしく、馬力無くしては、北海道の開拓は無かった。皆、生きていくために汗を流して田畑を耕し、材木を運び、石炭を運んで、広大な大地を切り開いてきた。
馬も、人も共に汗をかいてきたのだ。

厩舎地区を訪ねて

厩舎が29棟。一つの厩舎に20頭ほどの馬がいる。厩舎に並んだ馬たちには、扇風機が向けられている。輓馬は暑さに弱い。馬体が大きく、熱が籠るのだ。

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蹄鉄師にちょこんと足をあずけ、蹄鉄を填めてもらっている馬もいる。
頑丈な足に填められているのは、私の顔以上もある大きな蹄鉄。ぶっとい足に、ぶっとい関節。怪我は無いけれど、大地を踏み込むため、爪の病気が多いそうだ。サラブレッドが芝の上で履く鉄の靴が「ガラスのスパイク」であるならば、輓馬のそれは、雪道にも耐えられる「鉄のスタッドレスタイヤ」のよう。サラブレッドの倍はあり、しかも、蹄鉄は夏用、冬用と作られていることにも感心する。

厩舎地区の奥には馬の病院もあった。健康な馬しかレースで走る事ができない。重種馬の獣医師は国内でも特に少ない。荒井久夫獣医師が親しみのある笑顔で、次から次へと器具を見せて説明をしてくださる。

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「馬の体温は37度が平均。レース後まず行うのは採尿。尿に一番出やすい。」
「これだけ科学が発達しても、蹄葉炎の本当の原因はいまだ解明されていないのですよ」
馬の注射器、点滴、心電図、レントゲン、体温計など、どれも特殊なものばかり。「舌から細菌感染してしまうから、舌に傷をつけてしまう恐れのある斜歯は削る」のだと、巨大なやすりも見せてくれた。一人で何役もこなしている。馬は話さないから大変だ。

デビューは2歳、人間でいうと10歳の春。輓馬は寿命が長く10年はレースに参加出来る。人間の年齢でいうと70~80歳でも現役ということになる。

競馬場の入り口には、北海道輓馬の祖、イレネー号の石像がある。レース場近くのふれあい動物園では、輓馬の引退馬やミニホースの仔馬たちが、トウモロコシの葉、にんじん、クローバーを与えられている。帯広中のみんなで馬を育てている。

最後に、谷さんが私をそりの上に立ちあがらせてくれた。馬の背中越しに見えたのは、厳かな日高山脈だった。その光景は、レースに備えたトレーニングというより、北の大地の農耕の姿そのもの、北海道の文化だと思った。

シャン シャン シャン ・・・ そりと馬を繋ぐ金具の音が、まるで鈴の音のように北の大地に響いていた。一歩一歩ここで生きている音色。馬と人が刻む人生のレースは形を変えて、今も北の大地で健在だった。

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