2016.07.12

水の古都 - 水でつなぐ命

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京都市内から1時間半。鴨川沿いから眺めていた北山の奥、そこは滋賀県大津市葛川渓谷の近く。目を潤してくれる霧雨に濡れた針葉樹、雪に耐えられるように造られている急傾斜の屋根、立派な家紋が付いた家々、京都まで流れている川では釣り人が竿を構え、釣りをしている。

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「鮎といえばここ」と教えてもらい、やって来た。鯖街道沿いに入ると、風情ある山荘がひっそりと佇んでいる。灯籠には「山の辺料理 比良山荘」という文字。上品なセピア色の暖簾の奥から作務衣に身を包んだ美しい女将さんが出迎えてくださった。「まあ、遠いところまでおおきに。ようこそ。」山荘手前の水路にはきれいな山水が涼しげに流れている。水のせせらぎと鳥のさえずりだけが響き、下界の喧噪から遠い、静寂。

女将さんに案内していただき、お庭の生簀(いけす)を覗かせてもらった。生簀の中では、200匹はいるであろう鮎が泳いでいた。体長10センチほどのこれらの鮎は、小鮎(こあゆ)と呼ぶらしい。

幼少期の稚鮎(体長5センチ)よりは大きく、成長した大鮎より小さい小鮎は、世界でも琵琶湖にだけ生息する鮎で、小さくとも立派な大人の鮎なのだ。なぜ琵琶湖にいると小さいのか。それは、食物に原因があると言う。琵琶湖内にはわずかなプランクトンしかないため、あまり大きくならないという。

鮎の旅路

通常、秋になると下流に産卵された卵は川の水に乗って海へ流れて行く。孵化した鮎は生きるために海に下り、プランクトンを食べ、越冬する。春になると大人になった鮎から順に川をのぼり、岩に付いた苔を食べて生活する。夏になり雨が降ると、水の流れに乗って中流から下流で暮す。水温の下がった10月頃から下流へ行き産卵。そして、わずか一年でその生涯を終えるのだ。

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鮎は泥が堆積した場所では卵を産まない。水がよく通る砂利が動く場所、清流で卵を産む。稚鮎は何百億分の1の微量の合成洗剤の成分でも嫌い、汚れた水には暮らせない。水通りの良い清流でなければ孵化できない。腐った植物や藻から出る成分、小動物の死骸、プランクトン、ミジンコが生命を育んでいるのだ。

一年を通じて魚たちが生活できる環境があり、水草や葦(よし)など産卵に適した場所も多い琵琶湖は淡水魚の宝庫。ビワコオオナマズやホンモロコなど琵琶湖の固有種もいる。琵琶湖が海から完全に分かれ、海鮎が陸封されたのは今からおよそ10万年前。琵琶湖で暮す鮎にとっては、琵琶湖が海の代わりとなっている。今や、海鮎とは異なる遺伝子となった琵琶湖の鮎は、海へ下っても海水への耐性が無くなっているとも言われている。

水で繋がる

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その昔、川で獲れた鮎は漁師から仲買人へ、仲買人からアユモチと呼ばれる運搬人によって鮎問屋に運ばれ、問屋からさらに京都市内の料亭や料理屋さんに生きたまま運ばれた。決められた漁師さんが特別な漁をおこない、神社にも奉納された。15世紀から明治初期まで京都の朝廷には御用鮎も献上された。

鮎が川で獲れてから人々の口に入るまで、釣り人、網を作る人、運ぶ人、料理をする人、古代から多くの人が鮎に関わってきた。しかし、淀川水系に建設された日吉ダムなど、ダムが造られたことで消えた鮎の運搬ルートもある。山と川と海、鮎と人の営みは、水で繋がっていた。

比良山荘でいただいたのは美しいオリーブ色の背、白い腹、ひれのピンと張った今にも泳ぎだしだしそうな鮎の塩焼きだった。生きたままの鮎を氷で締めると、蒸したときにひれも口もぴーんと張り、まるで泳いでいるかのような美しさで食卓に供される。焼いた笹の葉の香りが囲炉裏を思い起こさせる。どこか懐かしい日本の香り。かけるのは、すりおろした蓼(たで)の葉を酢と塩で混ぜた蓼酢。

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「鮎には、蓼酢です。」と女将さん。鮎を五感で味わうことのありがたさ。鮎の美味しさはもちろんのこと、琵琶湖の固有種モロコの素焼き、鯉の刺身、鹿のたたき、うなぎの焼きしも、そして熊鍋。山に生きる大切な命が、シェフの心と腕、そして、山の水によっていっそう美味しく料理されていた。

一年以内に子どもを産んで死んでしまう鮎。なぜ一年なのか。子持ち鮎の甘露煮を食したとき、鮎のからだのほとんどが卵だった。そして思った。一年が限界なのかもしれない。からだの半分以上が卵。つまり、自分よりも子どもに栄養を与えている。自分の持っている全ての力を子どもに分け、使命を終えたように力尽きてしまうのではないか。それとも子孫を残すためのサイクルを高速で進めるように神様が設定したからなのか。いずれにせよこの一年という短い一生は、人間に川をきれいに保つことを託しているようにも感じる。生命のふしぎとしか言いようがないけれど。

アユスピリッツ

日本人はなぜ鮎が好きなのだろう。秋に生まれ約一年で寿命を終える命のはかない魚だからなのか。そんな疑問を口にすると、祇園でイタリアンレストランを営む山口氏からこんな答えが返ってきた。

「それは、鮎が持つ苦みだと思う。」「苦み、ですか?」「ええ、鮎が持つ苦玉。鮎は、子どもでも、ちゃんと苦玉を持っているんですよ。」まるで、言霊(ことだま)のような響き。鮎の苦玉。すなわちアユスピリッツ。

日本の自然環境に適応してきた淡水魚たち。鮎が育つ水と空気。 人それぞれ、その土地を思い出す古里の味。川魚にも私たちにも組み込まれているいのちを繋ぐ遺伝子。苦玉を持つ・・・鮎としての矜持は、わたしたち日本人としての矜持に繋がるものなのかもしれない。

京都水族館

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京都駅から15分ほどの場所に水族館がある。
「え?水族館って、海沿いに造られているのでは?」意外に思う。
内陸にある京都水族館の海水は粉でつくられており、このような人工海水の試みは国内初だという。水族館の規模はそれほど大きなものではないが、京都ならではの展示物が大変興味深い。

大きな魚や、派手な魚、珍しい魚を展示することで人々の興味を引き寄せてきた従来の水族館とはちがい、京都水族館が大切にしているのは、むしろ「身近な淡水魚を知るべき」という想い。森から始まりやがて海へと向かう水の旅。

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日本列島の真ん中にある京都には、国内の淡水魚の3分の1に当たる、約150種が生息している。それらは必ずしも安泰ではない。例えば、60年代には都市開発によって湧き水の流れる小川が無くなり、京都でサバジャコと呼ばれ親しまれていたミナミトミヨという淡水魚は、現在は姿を消してしまった。オオサンショウウオは、70年代に外来種が川に紛れ込み、京都の鴨川に住む特別天然記念物の在来種は激減した。いまや交雑種90%以上、在来種はわずか1.6%。

京都水族館は絶滅を危惧されている希少な淡水魚を保護し、将来は野生復帰を目指しているという。
京都水族館は、まさに、ノアの箱舟!

水の都、京都。私たちは、水でつながっている。

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