2016.02.09

カオスの中のインド・蛇寺院

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「神の国」として知られるインド最南端のケララ州は、手つかずのジャングルを切り拓いた自然の恵みが豊かな場所である。アラビア海へ続く川が幾本も流れ、水田があり、お米を主食とする。水辺では人々が川の水で顔を洗い、髭を剃り、歯を磨き、洗濯をする。同じ水で魚を獲り、潜ってはしゃぐ子どもたちが生き生きと眩しい。湿り気を帯びた空気はどこか日本と似ている。

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アラビア海とベンバナード湖に挟まれたアレッピーは、「東洋のヴェニス」と称され、ヤシの木の茂る水郷地帯や白い砂浜の海岸線が美しい。

アレッピーの森の中にケララ州最大の寺院がある。マンナラーサラ・スリー・ナーガラージャ(Mannarasala Sree Nagaraja Temple)寺院。ナーガラージャとは大蛇を意味し、ここでは蛇が最高神として崇拝されているという。

ナーガラージャ

こんな伝説が残っている。
『海から生まれたケララの土地には塩分が多かった為、人々が去ってしまった。その土地に、猛々しい大蛇(ナーガラージャ)の口から炎が燃え広がると、その毒によってケララの土地は脱塩され、まばゆいほどの緑が溢れ、この土地に永久に人が住めるようになった。』

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インド神話で蛇神は、男性がナーガ、女性はナーギィと呼ばれ、インドでは川もナーギィと呼ぶ。確かに、川のうねりは蛇神のようであり、蛇神は水の守護神でもある。

ヒンドゥー教は、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三神を最高神としているが、三大神がまたそれぞれ多様な化身を持つ多神教である。ヒンドゥー教で蛇は様々な形で存在している。ヴィシュヌ神は大蛇の上に横たわり、シヴァ神は首に蛇を巻いている。この土地では、シヴァでもなくヴィシュヌでもなく、その蛇自体を神として崇めているのだ。

マンナラーサラ・アーリヤム

「今日は、寺院で “マンナラーサラ・アーリヤム(Mannarasala Ayilyam)” が開催されます。ヒンドゥー教の神像崇拝の儀礼ですが、今日はアンマが黄金のナーガラージャ(蛇)を抱えて寺院内を練り歩くのです。アンマに会えることを心待ちに遠方からやってくる人もいます。」とインド人のドヴァルさんから説明を受けた。

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アンマとはお寺の巫女的な存在で、蛇と共に崇拝される女性だ。ナーガラージャ寺院の心であり魂だという。現在のアンマは86歳。代々お寺に嫁いできたお嫁さんがアンマの役割を担うそうで、過去には14~92歳までアンマのお役目を務めた方もいらっしゃったようだ。

「お祭りは何故今日なのでしょう?」と私が尋ねると、「彼らにとっての月の暦がちょうど今日だったのでしょう。」とドヴァルさん。ヒンドゥー教では、祭りの日時は、地元の習慣や伝統、暦に則って決まるようだ。

寺院に到着すると参拝客の多さと喧噪に圧倒された。オート・リクシャー(三輪タクシー)のクラクション、拡声器で叫ぶおじさんの声、埃っぽい空気、生暖かい風、団扇であおぐ人や、寺の敷地内に並ぶ出店は日本の縁日のよう。売られているのは、香辛料、足マット、宝石、子どもの玩具、派手な色のゼリー、そして、蛙や鳥やコブラのような幾つもの頭を持つ蛇の置物。人々の片手には供物、もう片方の手にはスマートフォン。

寺の敷地内では靴を脱ぎ、裸足で歩いた。菩提樹の傍を家族連れが行き交う。男性は現代風な洋服の人もいれば、ドティという白い腰巻きだけの人も。女性は色とりどりのサリーを纏い、子どもたちはドレスの正装。インドの子どもの黒目は吸い込まれそうなほど美しい。そして、南インドには肌の黒いドラヴィダ系の人が多い。

黄色のちから

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寺院は一面黄色い花で飾られていた。インドで黄色は幸運を呼ぶ色だ。寺院では黄色いターメリックの粉も売られていた。購入したターメリックの粉を私が手にしていると、あれよあれよと参拝客が手を伸ばしては額に塗り、首を橫にカタカタ振って笑顔で去って行くではないか。通りすがりのおじさんおばさんが私の額にもターメリックを塗ってくれるのはありがたいが、粉末が気管に入りゴホゴホむせて仕方がなかった。

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寺院の方々には蛇の装飾が施されていた。それにしても蛇の石像の多さに驚いた。石像と呼ぶよりご神像と呼ぶべきなのだろう。2匹が絡み合いながら昇天していくような蛇、いくつもの頭を持つ蛇、コブラのような蛇。その数3万以上。ナーガラージャ寺院は16~17世紀に建立された個人の寺院で、蛇のご神像は参拝者の寄進によって集まったという。黄色い粉をふりかける人、はたまた「土の中から抜いたばかりです!」といわんばかりのターメリックを丸ごとドンと蛇の頭上にお供えしている人もいて、ご神像の蛇にも気合いが籠もっている。

「今回ここでは、額にターメリックの黄色一色だけを塗っている人が多いのですが、ヒンドゥー教の信仰があついタミル・ナードゥ州では、三色を額に塗ったシヴァ派もいたりします。今は三神中ブラフマーの人気が衰え、ヴィシュヌ派かシヴァ派か二大神どちらかの信仰者が殆どです。ヒンドゥー教では額に3つめの目があり、それが神様とのアンテナ。その目が開くと悟りが開く。インド人の髪型で髪の毛も立っている人がいますけどね、あれも神様とのアンテナで三つめの目なんですよ。」
単純にオシャレで髪を立たせているわけでははないということか!?

「北インドではシヴァ神の息子は一人しかいない。それがゾウの姿をしたガネーシャです。ところが、南だと息子が二人いるという説がある。その息子はカールッティケーヤという名で、南ではそちらを祀っている。どちらを信奉するかというと、“おれ、ガネーシャのほうが好きだから” など、もう好みの問題です。」
複雑だ・・・。

アンマ

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敷地を大分進んだところで、群衆がお堂に詰め寄っていた。まるでアトラクションを待ちわびる行列・・・というよりも、列にすらなっておらず、押し合いへし合い隙間無く人々が詰め寄っている。お堂の奥に見えたのは、白いサリーを纏った小柄な老婆だった。彼女こそが「アンマ」だ。

アンマに一目おめにかかりたい為に、ぎゅうぎゅうと流れ込む人々の波を私は体をひねりひねり縫うように進み出て、ついにアンマの目の前まで辿り着いた。
北インド出身のドヴァルさんでさえ、南インドの言語は何がなんだかちんぷんかんぷんだというのに、私にアンマの言葉が理解できるはずがない。インドの北と南は、日本の北海道と沖縄どころの比ではなく、本当に全くわからないそうだ。
私はアンマに静かに手を合わせ、日本語でご挨拶をさせてもらった。「日本から来ました。お目にかかることができ光栄です」。側近が何やら訳している。アンマは崩れたサリーを直し、少し頷いて私を見つめ、小さな声で言葉を発した。私の中で勝手に訳させてもらうと「あなたがたにも幸運が訪れますように」と仰っていただいたのだろうか。次から次に順番を待つ人がいるので長居はできず、後ろにいたご家族に番を譲った。ご夫婦は子どもをアンマに差しだし、何度も何度もお辞儀をして手を合わせていた。この寺院は子を授かる御利益があるということで、子を授かるよう祈る夫婦、又、授かった人や子を持つ親は感謝を捧げに来ているという。

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アンマが黄金のナーガラージャのご神像を大事そうに抱え、群衆の中を歩き始めた。アンマの後にぞろぞろ続く参拝者達。鳴り響く楽団の太鼓が体中に振動する。舌を口の中で回しながら「れろれろれろ、たららららららら」とインディアンのような掛け声を発し始める人々。それはそれは不思議な高揚感に包まれ、気づくと群衆の行進に巻き込まれていた。身動きがとれなくても彼らは前へ前へ進もうとするものだから、私の体は圧に耐えかね、窒息寸前!ドティ(腰巻き)ひとつで上半身裸の男性達の汗が私に張り付き、密着状態。人々の体から発する香りは紛れもなくスパイス!群衆は何百、何千とあふれかえり、右にも左にも前にも後ろにも進めない!私は絶叫していた。「Oh my goodness!!! Hey! Don’t push me!! Don’t touch me!! Heeeeeey!! 本当に窒息する!」
逃げ場がない、抜けられない、身動きがとれない。まとわりつくのは汗、汗、汗!一時間近く押し潰されそうになりながらも練り歩き、ようやくスポーンと行列から脱出できた。「ああ、死ぬかと思った・・・!」死人が出てもおかしくないと思うほどのカオスだ。

祭りの行列を後にすると、日本から同行していた演出助手のAさんが教えてくれた。「三佳さんのとなりのおじさん、ずっと三佳さんに触れないように肩に手を回し、三佳さんを守っていましたよ。」その一言で、嫌いになりかけたインドを、嫌いにならずに済んだ。

蛇とインド人

藪の中に本物の蛇を見つけた人々は「蛇だ!蛇だ!」と蛇に手を合わせ、その人集りに私は再び押しつぶされそうになった。なんてあつい蛇への信仰心だろう。

ヒンドゥー教は、特定の創始者がいたわけではなく、土着の崇拝様式を取り込みながら形成されてきた。紀元前2000年程前、ヒンドゥー教が広がる前から、先住民族ドラヴィダ人の間に存在していたのは動物や精霊など土地に宿る神々への信仰だった。ペルシャから侵入してきた遊牧民族アーリア人に南に追いこまれたドラヴィダ人の土着信仰。その中には、女性崇拝の信仰もあったという。だとすると、アンマはその名残なのだろうか。

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ナーガラージャの伝説でケララの大地に炎を吹いたのは、或いは龍だったのではないか。ベトナムの旧正月で街を練り歩いていた大きな龍の出し物は、まるで蛇のようだった。寺院に無数にある石像。絡み合った2匹の蛇ナーガとナーギィは昇天する龍のようにも見える。

日本神話に登場する国づくりの神、男神イザナギ、女神イザナミ・・・オスの蛇ナーガと、メスの蛇ナーギィ・・・・・ウナギと、アナゴにも、ナーガがいる!?ナーガラージャと同じように幾つも頭を持つ五頭竜や九頭竜、そして仏陀。私の体にざざざざっと鳥肌が立つ。

旧約聖書の創世記にも蛇は登場する。最初の人間アダムとイブに禁断のフルーツを食べるようそそのかしたあの悪者。

首に蛇を巻いた破壊の神シヴァは、世界が終焉を迎えた時、次の世界創造の準備をする神だ。脱皮と再生。破壊と創造。私たちの大本に常に蛇がいるのであれば、南インドの最南端に残されている蛇の崇拝はもっともなのではないか。

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信仰の対象が何故蛇なのか、大昔この地で蛇はどのような存在だったのか、人々が祭りの日に選んだ月の暦も、正直、謎だ。

しかし、白黒つけず、謎は謎のままでいいと思った。それが神秘なのだ。
日本には八百万の神が存在し、行事ごとに敬う神を変える日本人の見事な柔軟性も、余所から見れば不思議にちがいない。

「神の国」ケララ州。
寺院の中を練り歩く群衆の先には、冷静沈着なアンマの小さな背中と、アンマに抱えられた黄金のナーガラージャの御神像がきらりと光を放っていた。

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