2015.09.08

競走馬 3歳の春

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夏の北海道、私はトウモロコシ畑を抜けて、人と馬の絆を探りに、珠玉の競走馬サラブレッドに会いに行った。

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【はじめましてサラブレッド】
やって来たのは北海道千歳市東丘。300haある社台ファームの雄大な私有地に入ると、初めて目にするその疾走は私の想像を遙かに超えた美しさ。

真夏の青空の下、緑の草原を茶色いたてがみを風になびかせ駆け抜けて来たのは、紛れもなくサラブレッド!

滑らかに敷かれたウッドチップとダートの坂路コース脇には、見目麗しいダリアの花が咲いている。白亜の洋館のような平屋の事務所や社宅。手入れの行き届いた青々と茂る芝、鮮やかに咲く花、林檎やブルーベリー、ハスカップなどの果樹。

社台ファームのこだわりの設備に思わず呟く「日本じゃないみたい…」。まるでヨーロッパに降り立ったような錯覚に陥る。

殺伐とした勝負の世界を想い描いての訪問だったが、スタッフの方々の明るく温和なお出迎えに、私の緊張は一気に解けていった。

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【アスリート】
厩舎の外では、たった今走り終えたばかりだという馬が脚に冷水を浴びている。
よく見るとガラス細工のように繊細で華奢。こんなに細い脚であの大舞台を時速60kmで駆け回っているなんて。アイシングの他にも低周波治療、レーザー治療、針、マッサージ、整体など人間と変わらないケアを馬にも施すのだそう。

「アクシデントが起きないことが一番。そのためにも最も大切なのが体調管理です。」

  • サラブレッドは主に牧草と燕麦を食すという。甘いものが好きだからニンジンやリンゴも食べるけれど、人が与えないと馬は口にする機会はない。

「カロリーを取り過ぎると、脚に負担がかかっていろいろな疾病が出てきてしまいます。」

  • レースでは、もちろんドーピングも許されず、レース後には尿検査も行われる。
  • 厳しい勝負の世界。サラブレッドは、まさに「アスリート」だ。
  • 検疫が必要なのは海外から入ってきた動植物のみとばかり思っていたが、競走馬は日本国内を移動するだけでも検疫があるというから、また驚いた。

【血】
Thorough=完璧な、徹底的な Bred=配合

その名の通り、サラブレッドは徹底的に管理された配合によってこの世に生をうける。サラブレッドは近親交配だから、血が濃い分受胎しにくい。その上、国際的にサラブレッドの人工授精は認められていない。

世界中どんなサラブレッドでも、お父さんの血統を遡っていくと必ず3頭の種牡馬に辿り着くという――― 三大始祖。この純血は、人類が守り抜いてきた、何ものにもかえられない傑作・・・ちょっと身震いしてしまうほど尊い動物だ。

厩舎スタッフさんと現れたサラブレッドの親子に対面した。黒鹿毛の牝馬アプリコットフィズ(8歳)と、まだ無名の3ヶ月の娘。父親は驚異的なレコードタイムで東京優駿(日本ダービー)を制した最強の大王、キングカメハメハ。

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アプリコットフィズも2010年クイーンカップ、クイーンステークスを見事に勝ち、女王に輝いている。引退後の少し丸みを帯びたグラマラスな躰でお乳を与える姿は、厳しい世界を戦い抜いてきた重賞馬だということを忘れさせるほど、優しい。

「あなたのお父さんとお母さん、凄いのね…!」と、敬意を込めて仔馬を撫でると、産毛がふわふわで気持ちが良い。無造作に生えた耳毛も愛らしい。傍の母親は、たてがみも耳毛も綺麗に切りそろえられている。人々も馬も正装に身を固めて臨むことにも私はこのスポーツの素晴らしさを感じる。

元々は、イギリスの貴族のスポーツ。女王陛下も競馬を見にいらっしゃるのだから。
毎日丁寧にブラッシングされ、芦毛や白馬はより白い光沢を、青毛や青鹿毛は黒よりも濃い黒の光を放つよう、艶々と磨き上げられる。

アプリコットフィズの娘に頬摺りをされた私は、すでに無名の彼女のファンになってしまった。一体どんな名前を授かるのだろう。成長が楽しみで仕方がない。

【人と馬の絆 そして、3歳の春】
競走馬は当歳の夏からセリにかけられ、早ければ2歳の春からレースに参戦。
華々しいデビューの春となる。
しかし、彼らが最も輝く季節は3歳の春。一生に一度のクラシックレースを制すこと。
ここでは、競走馬として走れるような馬にするための基礎トレー二ングを行っている。

  • 競走馬は、放牧しかしていなかった当歳から2歳の春頃までゆっくりと時間をかけて「人が乗って競争が出来るよう」に馴致(じゅんち)していく。

厩舎スタッフは生まれた直後から毎日馬の体に触れてコミュ二ケーションをとり、人に対して従順であるよう教えていく。

これからの長い馬生、馬はたくさんの人と接していく。その誰に対しても従順であれば、人も馬も安心してパートナーになれる。もちろん馬にも性格や個性があるから、それを押さえつけるようなことはしない。

  • 人に馴れたら次は、1歳の夏頃から調教に向けての準備が始まり、ハミや鞍など人が乗るために必要な「道具」に馴れさせていく。
  • 馬装(ばそう)ができるようになったら、今度は、進め、止まれ、左右への旋回、後退など基本的な指示(ドライビング)を行い、扶助を馬に理解させる。
  • ドライビングで教えた扶助を、今度は人が跨がった状態で同じ動きができるように教える。

ここまでが出来てようやく「調教」に辿り着く。

  • そして、いよいよ走るトレーニング!

はじめは、馬の走れるペースで走らせ、それを毎日繰り返して、体力が付いてくると今度はタイムを決めて、そのタイムで走れるように少しずつ調教の負荷を強めていく。すると、牧場を送り出す頃には1ハロン(約200m)15秒を切るペースで走れるようになるという。

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競走馬としてデビューするための最後の仕上げは、トレーニングセンターへ移動をしてからとなる。牧場で出来ることは、その一段階前まで。

繁殖厩舎で仔馬を産ませてから日々管理をする人、育成厩舎で成長期の馬をきちんと管理して調教に向かうための体作りをし馴致を行う人、調教厩舎で競馬場に送り出すための調教を日々行う人、これだけの人に関わり、競走馬は作られている。

走るため、勝つために生まれてきた競走馬たち。

3歳の春から始まるクラシックレースは、その競走馬たちでさえ、出走すること自体難しい狭き門。一生に一回のレースに、大観衆の期待と共に多くの関わってきた人たちの期待も背負って競馬に挑んでいる。

“ サラブレッド ”という血統的な速さは備えているとはいえ、生まれながらにして競馬場で競争できる馬ではないということ。人が鍛えていかなければその能力を発揮できないということ。「サラブレッドにも努力あり・・・!」。この当然の事実を知らなかった愚かな私である。

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最近では、馬券を買うだけではなく、純粋に「馬が好き、馬を見たい!」という理由で競馬場に足を運ぶ人も増えているようだ。毎週末行われるレースは、会話の乏しかった親子のコミュニケーションツールにもなり、また、競馬場は家族連れで訪れても楽しめるような設備に変わり始めているという。

「馬を中心に人が集まる。馬がいろんな人を連れてきてくれる。知り合いになれない人とも知り合えるかもしれない。勝利に輝けば女王陛下からも「おめでとう!」と言ってもらえるかもしれない。」と吉田哲哉氏。

人と馬の絆を探りにやって来た私は、また新たな絆に気付かされた。

「馬が人を繋げている・・・」

これまで私が見落としていた絆だった!

【屯田魂】
日本一の競走馬生産牧場集団になった秘訣を、社台ファーム代表吉田照哉氏に伺った。

「屯田魂―― つまり、開拓魂だな。」

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明治時代、新政府が屯田兵例則を定め、南部藩士だった吉田社長の曾曾お爺様にあたる吉田善治氏が、北海道に渡り農地を開拓。
それ以降、善太郎、善助、善哉、照哉、哲哉氏に至るまで、その屯田魂は、まるで競走馬の血族のごとく受け継がれている。アメリカの牧場には敵わない、日本では到底無理だろうと思われていたサラブレッドの生産。

「馬のことを片手間にやらなかったということが大きいよね。日本ダービーが始まろうとしていた時代、馬さえ産ませればいい、走ればいいという目的で馬産に関わった牧場が多い中で、稼ぐよりも、強い馬の生産、世界に負けない牧場づくり、欧米で勝てる馬を生産するという気概があった。視野が世界相手だったんだね。」

そして、最後に・・・「北海道のお米美味しいよ!本州に引けを取らない。オレは北海道のお米しか食べない。」と、吉田照哉氏。
そのお米はどんなに高いお米かとスーパーで探してみると、某有名ブランドの半分の値段だった。

吉田社長は北海道を信じている。屯田魂―――それが、社長の原動力になっていると思った。

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