2015.07.14

セレブの嗜み-貴族の狩猟

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「フランスの庭」と呼ばれるロワール川中流域には、美しい自然の中で壮麗な城が100以上も聳え建っている。

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王侯貴族たちの狩猟用の邸宅として建造されたシャンボール城、要塞として築かれたアンボワーズ城、ダ・ヴィンチの終の棲家となったクロ・リュセ城、城主が代々女性だったシュノンソー城など、「城」と一言でいえど、建てられた時代や目的によって、内観も外観も印象が変わり、個性豊かだ。

1604年から30年もの歳月をかけて建造されたというロワール渓谷の中でも屈指の美しさを誇るといわれるシュベルニー城は、左右対称の上品な美しさ。

城には現在も公爵夫妻が暮らしている。敷地に足を踏み入れると、17世紀の豪華絢爛な家具や調度品もさることながら、何より驚いたのは、狩猟の館で目にしたに2,000近くの大きな鹿の角だった。さらに、敷地内の犬舎の中には100匹もの猟犬たちがひしめき合っているではないか。

100匹もの同じ犬種に一斉に見つめられ圧倒される。

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彼らはビーグル犬にそっくりなのだが、大きさはビーグルの5倍程はある「フランセ・トリコロール」というフランス原産の狩猟犬だ。主にシカやイノシシを獲るのだという。城内の美しいタペストリーには中世の狩猟の様子も描かれており、この城では150年程前から飼われているそうだ。

迫力満点の猟犬たちを前に、ふと思う…何故こんなにたくさんの猟犬が必要なのか…なぜ2,000もの鹿の角なのか…貴族の狩猟とは何なのか…。

庶民にとっての狩猟=食糧調達であり、生活のためであったはずだが、中世、貴族にとっての狩猟とは読書と同じくらい重要な必須科目で、貴族文化の一つになっていったのだ。
魚釣りのキャッチアンドリリースに抱く違和感と同じくらい私の中では腑に落ちない貴族の嗜みである。
中世初期から貴族にとって「働かないこと」が美徳だった。
宴会、チェス、ゲーム、ダンス、歌、楽器、文学、武芸、騎馬槍試合、そして狩猟、そのどれもが稼げるほどに上手であってはならない。料理が上手いと、料理人がいないのかと、貴族にとっては恥となる。大きなお屋敷や城、広大な庭園や農場を農家に貸すことなどによって収入を得る有閑階級である。

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貴族としての身分証など存在しないから、それを示すためには、高貴な生活、華美な衣装、武具や馬、日常的に猟犬や猟鳥を用いて、平民が行えない規模の狩猟を行うことで、貴族であることを周囲に評価されるしかなかった。

広大な土地を必要とする鹿狩りは、多くの猟犬を率いて王侯貴族だけが主催できる娯楽になっていく。

又、平民の武装を警戒していた戦士階級の貴族は、槍などの狩猟道具を平民には所持させないように、禁猟地を設け貴族の特権にしていったとも考えられる。

王侯貴族にとっての狩猟は、戦争に備えた訓練の場だった。
鷹を使う狩りは、風を読んだり、鷹を放つタイミングを考えたり、冷静な判断や忍耐、危険を察知する能力を必要とし、機転や政略にも通じることから、鷹を用いる難しさが「高尚な狩猟」として貴族に愛された。

狩りの腕の良さは戦闘での勇敢さにも重ねられ、その獲物を食事の際に振る舞うことが、貴族としてステータスだったのかもしれない。

そんな中世貴族の狩猟文化から育まれてきたのが、フランスの食文化、飼育されていない鳥獣類を提供するジビエだ。

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公爵が自分の領地で狩猟を行う際、地元の権力者も招いて交流していたという。なるほど、今で言うゴルフの交流…のような、中世の社交では、狩猟術を修得することが、重要なコミュニケーションツールとなって、領内を円滑に統治する手段だったのだ。そうして狩猟が社交で重要な位置付けになっていくにつれ、狩猟獣の価値付けもつくられ、鷹狩りや鹿狩りが高貴なものと見なされ王侯貴族にふさわしい狩猟となった。

一方で、軽蔑の対象となったのは…罠猟。貴族にとって、技によって獲物を仕留めるのが素晴らしいのであって、罠で捉えた兎なんて考えられないし、平民が自分たちと同じ狩猟を楽しむなんてあり得ない!のだった。

中世の戦士たちが行う狩猟は、もはや食糧や資源の調達というよりは、高貴さや権力の誇示、王侯の虚栄といった面のほうが強くなっていき、狩猟の違いは平民への軽蔑心に繫がり、王侯の狩猟のために農民や牛飼いや羊飼いたちは土地を奪われ、農耕が発達すると、ますます森や山は平民から遠いものとなっていく。

圧政に耐えられなくなった庶民が反乱を起こし、1789年のフランス革命ではルイ16世が処刑され、貴族は特権をはぎ取られ、宮殿もなにもかも国家の財産は国民一人一人のものとなり、貴族から市民に権力が移っていく。封建的な特権が廃止されるまで、貴族による狩猟の独占は続いたのである。

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城を後にし、自動車で走行中、沿道に佇む黄色いチョッキを羽織った数人の男たちの存在に気づいたのだが、工事現場のガードマンかと思いそのまま通過するところだった。ところが、近づくと、男たちが猟銃を手にしているのを見逃さなかった。フランスで今でも行われている狩猟の現場に遭遇したのだ。

降車し、「ボンジュール!」と、彼らに近づくと、古めかしいラッパを腰からぶら下げた男たちは「ボンジュール、サヴァ?」と、意外にも大らかな挨拶が返ってきた。「今、この森の中で狩猟中なんだ。犬たちを呼ぼうか」と、狩人はラッパを高らかに響かせると、生い茂った木々の間から何十匹ものフランセ・トリコロールが尾を振りながら姿を現した。
彼らは貴族というよりプロのハンターだったのだろう。

猟犬たちは本当に獲物を仕留められるのかと問いたくなるほど人懐こいが、抱きついてくる彼らの手足はとても大きく、私一人くらいは簡単に押し倒されそうになる。
深い森の中で遭遇する鹿の姿もきっと崇高にちがいない。その崇高な鹿に立ち向かう猟犬たちと獲物の格闘も勇ましく、血湧き肉躍るのだろう。そして、深く静かな森の中で神聖なな命と向き合う。そうした過程を経て、猟犬と狩人の絆はまるで無二の友人のように、特別なものになるのではないか。

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現代でも、貴族だけが知る猟銃を使用した射撃のコミュニティーがあり、貴族だけが入り込める深い森がある。狩猟は現代でも貴族の特権で、娯楽に止まらない重要な社交の一つなのだ。私にはまだまだ知らない世界がある。

古城の中で高々と飾られた、降りかかってきそうな夥しい数の鹿の角に、人間の勝利とは、自由とは…と、静かに語りかけられているような気もした。
貴族の嗜みを本当の意味ではよく理解できないまま、けれども、富によってその土台を築かれたフランス文化の圧倒的な美しさに何度でも惹かれてしまうのだ。

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