2015.04.14

マラムレシュ羊

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春風心地良い穏やかな季節、牧草の中で可憐な黄色い花が風に揺れ、暖かそうな毛を纏った羊たちが長閑に駆け巡っている。

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ルーマニア北部のウクライナの国境とティサ川に接しているマラムレシュ。北海道の稚内と同じ北緯45度に位置し、200以上の小さな村が点在する。

山深い辺境の地のため、共産党政権時代にも影響を受けず、政治の動きとは無関係に数百年前の昔ながらの暮らし方や農村文化が奇跡的に残っている「中世の化石」マラムレシュ。

羊の番をしながら紡錘棒で羊毛を紡ぎ、おしゃべりに花を咲かせている女性たちや、民族衣装を普段着として着用している人々、干し草を乗せた馬車で移動する日常風景は、まるで中世のヨーロッパの農村にタイムスリップしたような気分に。人々が中世という服を着ている。

山と森に囲まれた中で木の文化が発展し、特に、加工に適したモミの木は家屋、聖堂、ゆりかごから棺まであらゆる日用品にモミの木が使われている。
モミの姿そのものを象徴して建立された聖堂は、建物を支える礎石の石すら使われておらず、釘の一本もレンガも用いず全て木だけで作られていることに驚かされる。現在マラムレシュには42の木造教会が残っており、そのうち約3分1が200年以上前の木の聖堂なのだ。丸みを帯びた急勾配の屋根、その瓦のような木の一枚一枚も素晴らしく、尖塔は天を突き刺すように細く高く聳えている。その高さはイタリアのピサの塔より高く70m以上。現在8つの聖堂が世界遺産に登録されている。

聖堂内部に入ると独特なぬくもりを感じる・・・装飾に目を凝らすと天井から吊り下がったシャンデリアも壁の絵も室内のなにもかもがモミの木で作られていることに気づく!素朴ながらも木の装飾の華やかさに圧倒される。村人たちは無闇にモミの木を伐採せず大切な友人のように木と共に生きている。そして、村人たちはなるべく聖堂の見える場所に住みたがるほど信仰と密接だ。聖堂内部で私が感じたあたたかみはそういう人々の’祈り’なのかも知れない。

モミの木で作られたマラムレシュの家の門は荘厳という他ない。馬車や自動車が通過できるよう大きな門構えがあり、その隣に人間用の小さな門が作られている。やはり、釘を使わないで作る昔ながらの建築様式を受け継いでおり、施された紋様には必ず過去、現在、未来を表す「生命の樹」を彫らなければならないという。大きな門は家や家族を魔物から守る大切なもので、網目模様は人と人との結びつきの象徴なのだと木彫り職人のおとうさんが教えてくださった。こうして現在の職人たちにも受け継がれている木造建築技術は並々ならぬ職人技だ。

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一方、村の女性たちは料理、洗濯、裁縫、糸紡ぎ、畑仕事、家事、育児、羊毛製品やタペストリーの製作と、働き者の女性たちばかり。マラムレシュの女性は子供のころから織物を学び、生涯の中で何千枚もの織物を織る。一人のおかあさんが羊毛の絨毯やベッドカバーを抱えながら「洗濯をしに川へ行く」というので付いていくと、目の前に現れたのは巨大な天然洗濯機!川の中に設置されている大きな木製の樽のような篭の中にベッドカバーや絨毯を放り込むだけで水流が洗濯物を攪拌し、見事に汚れを取り除き、乾燥後は真っ白なふかふかの羊毛になっているではないか。機械を使わなくても自然の力をこんな風に活用することが可能なのだと目から鱗だった。

私がさらに驚いたのは「プリンバーレ」と呼ばれる毎週日曜日のミサの後の散歩の習慣。村の人たちは美しい民族衣装で友人、家族、ご近所さんと仲良くお喋りしながら道を歩く。歩くというより、たゆたうという感じ。どこへ向かうでもなく同じ道を行ったり来たり、のんびり止まってしまいそうな速度で大勢の村人が揺蕩う。年頃の女子は一枚皮のぺたんこ靴ではなく、ハイヒールを履くのが流行のようで、携帯電話を片手にハイヒールに民族衣装という出で立ちで「プリンバーレ」している。教会のミサに出席しないが、気になる女子と一緒に歩きたい、お喋りしたいとプリンバーレにだけは出てくる不純(?)な男子もいるのだが、彼らもきちんと正装で散歩に出ているのが微笑ましい。もちろん若者だけでなく老若男女たゆたうようにプリンバーレ。無縁社会とは無縁な習慣だなと感じると同時に何ともふしぎな光景だった。

村の動物市を訪ねると、どこから集まってきたのか大勢の人で賑わっている。特に何を買うでもなく、ただ人とお喋りしたいために市場に出てくる村人も多いようで、何だかとても楽しそうなのだ。ここで売られているのは農具や蹄鉄、家畜のエサ、箱の中でブヒブヒ鳴いている子豚や子羊、大人の羊、乳牛など・・・動物たちが丸々一頭ふつうに売買されている・・・飼うためではなく、食べるため…!このように家畜が普通に売買されている様子も失われた中世ヨーロッパの農村風景の一つ。

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中でも、羊はマラムレシュの人々にとって欠かせない家畜だ。
私は、毎年5月に村ごとに行われてきたマラムレシュ地方の大切なお祭り「羊祭り」に参加させてもらった。気持ちの良いお天道様の下、牧草地に集められたのは村の11家族の羊およそ200頭。教会の司祭が十字を切って柵の中の羊たちに聖水をかける。村人が黙祷しながら牧柵を囲んでいる。女性は柵の中に入ることはタブーなようで、柵にもたれながら外側で祈っている。言葉はわからずとも私も一緒に手を合わせていた。

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祈りが終わると何頭かの羊が柵の外に出され始まったのは乳搾り大計量大会!この乳絞りで、お乳が出ない羊を選り分け、自分の羊がどれくらいお乳を出すことができるのか判断されるのだ。また、この日に搾ったお乳の量でその年のチーズの配分量が決まる為、村人は必死でチーズを搾る!羊の乳1リットルにつきチーズ10キロ。

村人は祈るような気持ちで搾乳量の記録係を囲み、「インチキはしないでおくれよ!」と、冗談めかして記録ノートをのぞき込む。樽いっぱいに搾り出された乳はその場で絞ってチーズにされ、私もご相伴に預かり、大切な出来たてチーズ「カシュ」をいただいた。甘くて濃厚なのだが、後味がさっぱりしている。ほっぺが落ちそうになった。

その他、トウモロコシの粉で練った「ママリーガ」というお餅のようなものに羊の乳で作った自家製ヨーグルト、裁いたばかりの羊肉を塩漬けキャベツで巻いたマラムレシュ風ロールキャベツ「サルマーレ」などこの地方の伝統料理をマラムレシュの人々が愛用するモミの木のスプーンでいただくのはまた一段とおいしさが増す!

チーズ作りが行われている傍では、羊の毛刈り。村の男性が羊の長い毛をつかんで、よいしょ!と羊を横たわらせ、女性たちが大きな鋏でシャキシャキ毛を刈込んでいく。羊たちにとっては一年ぶりの散髪。

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「あなたもやってみたら?」と鋏を手渡されたものの、羊の体を傷つけてしまわないかと躊躇してしまい鋏がうまく進まない。「それじゃだめよ、こうでなくちゃ!」と、目にも留まらぬ早業でシャキシャキと毛を刈られていく羊たち。散髪後のふかふかな羊毛はまだ体温が残り脂っこかった。羊はおもいきり走らせることによってより良質な羊毛が得られるという。この長くて分厚い羊の毛がセーターや絨毯、伝統的な美しい柄のタペストリーに生まれ変わるのだなあ。

「美しい」という字は「羊が大きい」と書く。それは、成熟した大人の美しさを表しているからいう説と、食べると美味しいからという説がある。
断末魔の際、山羊や豚は金切り声で抵抗するのに、羊はメェ~と一声漏らしてそっと我が運命を受け入れたかのごとく温和で従順。

それ故、ヨーロッパでは神への捧げ物、生け贄の対象となってきたのだろうか。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などでは羊は神への捧げ物だ。キリストも子羊と言われている。そういえば「犠牲」の犠という文字の中にも羊がいる。

マラムレシュでは、寒い冬に各々の家の羊小屋で生まれた仔羊を主婦や子供たちが家族のように世話をする。いつも羊が側にいて身近な存在。そんな羊を殺して命をいただかなければならないとなると、やはり子供たちは悲しむ。だからこそ羊の命ときちんと丁寧に向き合い、村人はお肉を食べる前に必ず犠牲になる羊に祈りを捧げる。

北トランシルヴァニア、ウクライナなど近隣の牧夫にも通じる牧用語というのもあり、ルーマニア語では羊は年齢によって呼び名が変わるという。その名の一つ一つは覚えきれなかったけれど、まるで成長魚のようではないか。

羊祭り終盤、男たちはギターを弾き、マラムレシュ独特のフォークロアが鳴り響く。女も男もアルコール度数の強いフルーツの自家製蒸留酒ツイカを好んで良く飲む。喉に焼けるようなアルコールの熱さを感じながら伸びやかな声で歌い、喋り、よく笑い、踊り明かす。ツイカは一気に飲むのが流儀と、私もいったい幾つ杯を傾けたのかフラフラになって踊り明かした。

そんな中、一人のおじいさんがくしゃくしゃの笑顔で私にかけた言葉を思い出す。「困ったらいつでもここにおいで。ここには水はある、牛もいる、羊もいる。生きていくには十分だ。」

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この羊祭り、いまでは開催する村が徐々に減ってきているようだ。
都会へ出て行く若者ももちろんいるけれど、少なくとも私が出会ったマラムレシュ地方の若者たちは都会への憧憬をあまり抱いていないことが意外だった。近代化が進む中で伝統を受け継ぐ大切さは感じているようだ。マラムレシュの人の素朴な生き方から、自給自足で生きていく逞しさ、人と人の繋がり、命の繋がり、生きることの尊さを学ばせてもらえるような、物質主義とはかけ離れた中世の魔法にかけられたような場所。

祭りを終えると、村人は手塩に掛けて育てた羊としばしのお別れとなる。羊飼いはラッパを吹き鳴らし、牧草地に散開した羊たちを見事にまとめ、初雪が降るまでの半年間、50キロ離れた山の上へ向かう。マラムレシュに咲き溢れる白い花と、散髪後の真っ白な羊たちが綿菓子のように村を覆っている。羊と人のサンクチュアリ・・・と、ロマンチックな思想に耽っていたら、何百頭もの羊たちが草を食みながら「ウメぇ~ウメぇ~」と猛スピードで私の横を駆け抜けていった。

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