2015.01.13

イオラニ宮殿にて

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ハワイ訪問前に、勧められて観たアメリカのシリーズドラマ「ハワイ・ファイブ・オー」。おもしろくてついつい何話も観てしまった。そのファイブ・オーの中で警察官たちの本部として使用されている州議会議事堂の前にやって来た。建物の前で高く聳える黄金の像こそ我らがキング・カ・メハメハ。通称「金カメ」と呼ぶらしい。金カメは観光名所の一つだ。

私はてっきり「カメ・ハメ・ハ!」だと思っていたのだけれど、正しくは「カ・メハメハ」と区切る。「カ・メハメハ」はハワイ語で「孤独な人」「静かな人」という意味だそうで、私が勝手に抱いていた勇猛果敢なイメージとは少し違うニュアンスだと知る。

像の金カメは勇ましく知的なお顔立ちとは違い、肖像画のご本人は熊さんのような大らかなイメージ。

3つの王国に分かれ戦いを繰り返していたハワイ諸島は、1810年、カ・メハメハにより統一され一つの王朝となった。 実際、カ・メハメハはとても優れた政治家であり戦士だったのだ。

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ハワイは600kmの間に135個もの島が存在し、127個が無人島で8個が有人島。島と島の間隔も相当離れている。

カ・メハメハによってハワイが一つの王朝に統一されていなかったら、それぞれの島がそれぞれの欧米列強と戦い、支配され、まったく別の国が存在していたかもしれない。

統一の年の1810年、この時期は、ちょうどクック船長がハワイにやってくる時期と重なる。カ・メハメハの並外れた実力ももちろんあっての統一だったのだろうが、優れた外交感覚をお持ちのカ・メハメハだったことを考えると、海の向こうからやってくる外国人相手に自分たちハワイ人を守るという危機感あっての統一だったのかもしれないと思った。

カ・メハメハのお墓はいまだにどこにあるのか知られていない。代わりに金カメ像には常にお花が手向けられ、毎年6月11日には偉大なるカメハメハの生誕と功績を称える献花セレモニーが開催される。カ・メハメハの首にはあふれんばかりの長いレイがかけられ今でもハワイのシンボル的存在であり、やはりハワイと言えばこの人、カ・メハメハ!なのだと知らしめている。

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キンカメ像のすぐ傍にはアメリカ合衆国唯一の宮殿が建っている。私は、このイオラニ宮殿を訪れて建物の周囲を歩き、記念撮影をしながらふと思った。「この建物、一体何様式と呼ぶのだろう?」アメリカ様式?あきらかに、ハワイの風景から浮いているちょっとした違和感。

この宮殿、ハワイ王国7代目カラカウア王の命で建てられたそうだ。

カラカウア王はハオレ(白人)の支配下から脱して、ハワイ本来の姿に戻そうと努められた王様で、その力をつける為に他国と結束しようと試みた。

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その相手国として目を付けられたのがなんと日本だったという。お互いに太平洋の島国であり、ハオレに抵抗し自力で国を保とうと踏ん張っている凛とした日本に、結束したらなんとかなると考えたようだ。

カラカウア王は1881年の世界旅行で日本を訪れ、明治天皇に「姪のカイウラニ王女を日本に嫁がせたい」と提案しているのだから驚いた。

このカイウラニ王女、知的な美人さん。お着物姿の写真なんて本当に日本にお嫁に来ていただいてもおかしくなかったのではと思うほどお似合いで愛くるしい。

結局、結婚話は実現しなかったのだけれど、当時、人口が激減していたハワイは経済活性化のために日本から呼び寄せる移民は確実に増えていた。

カイウラニ王女の成長と共にハワイは発展し、そしてハワイがアメリカに併合された一番悲しい時期に22歳のカイウラニは留学先のイギリスからハワイに戻る。王女は、カナカ(先住民)がアメリカ人に虐殺されたことを知ると、カイウラニ自身の意思でアメリカに渡り、ハワイ王朝存続を認めさせる為にアメリカ大統領に会っている。恋や、結婚よりも王朝を存続させようと努め、家族想いの毅然とした女性だったようだ。そんな気丈な美しいカイウラニ王女は、残念なことに23歳という若さでこの世を去ってしまう…。あぁ、若すぎる。

カラカウア王は、日本との同盟の他にも、反ハオレ運動、ハワイ固有文化の本を書いたり、太平洋諸島連合の構想を抱いたり、ハワイ経済発展の為に米国とも積極的に交渉を行い「メリー・モナーク(陽気な君主)」と呼ばれていたほど明るい性格だったという。

しかし、カラカウアの構想は消滅し、ハオレにも勝利することなく1891年にアルコール依存症で体調を崩し、治療のために訪れていたサンフランシスコで客死。

次の王位についたのはカラカウアの妹のリリウオカラニ(53歳)、ハワイ王朝最後の女王。とても聡明な女性だったようだ。しかし、女王は反乱の首謀者の容疑で有罪とされイオラニ宮殿近くのワシントン・プレイスに軟禁され資産も没収されてしまう。

先住民はアメリカ海兵隊との戦闘というよりも虐殺されたといったほうがよい無惨な最期だったという。

音楽を愛したリリウオカラニがワシントン・プレイスで余生を送りながらつくった有名な歌が「アロハ・オエ」。 淋し気で切なく、優しいメロディーがとても素敵な曲だ。

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リリウオカラニはアメリカ合衆国に併合された翌年1899年に死去。

女王の死から42年後の1959年、ハワイはアメリカの50番目の州となる。

ハワイ王朝は消え 王権は剥奪され、カナカ(先住民)の署名と請願は黙殺され、残ったのはハワイ人たちの沈黙と高々と掲げられた星条旗。

私たちが海水浴を楽しむワイキキ・ビーチも元々は先住民のタロイモ畑だった。先住民からそれを奪い、カリフォルニアのマンハッタンビーチから持ってきた砂で全長2.8kmの人工ビーチが作られた。タロイモがすくすくと育つほど水の豊かな場所なのに。

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ハワイの歴史を少しだけ知って以来、リリウオカラニ女王のアロハ・オエが一層胸に迫り、どんなに寂しかっただろうと、切ない気持ちになった。

池澤夏樹氏はハワイイ紀行の中で、「ハワイイ固有の植物がいかに外来種の侵入に弱かったかを見た後に、こうしてハワイイ人の歴史を読み返してみると、彼らもまたこの諸島の固有種であったという思いに駆られる。」と記している。弱い種が強い種に征服されてしまう現象は自然界では当然のことだが、アメリカ人のふるまいは許しがたく歴史の後味は苦いと。(英語ではハワイと言うより、ハワイイと発音する)

固有種という言葉に私は強く共感する。本当の固有種なるものが今世界にどれほど存在するのか。弱いものが強いものに征服され、みな千篇一律になってしまうことはとてもつまらない。面白くない。

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また、三島由紀夫氏はこんなことを述べている。「私の言いたいことは、口に日本的文化や伝統を軽蔑しながら、お茶漬けの味とは縁の切れない、そういう中途半端な日本人はもう沢山だということであり、日本の若者にのぞむことはハンバーガーをパクつきながら、日本のユニークな精神的価値を、おのれの誇りとしてくれることである」

リリウオカラニもハワイ人も、ハワイの心は永遠に消えることはなく、物質的なものはすべて奪われてたとしても、精神的価値を誇りとしていたのだろう。

その土地土地の固有種を大切にする、それでこそあらゆる生命が維持され、そこにしかない魅力があり、輝くのだと思う。 ハワイ人のハワイアン・スピリットのように、私もおのれの精神的価値に誇りを見いだして気丈にすっくと生きてみたいと、太平洋の真ん中でパンケーキをパクつきながら、そんなことを感じていた。

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