2014.04.08

パプアニューギニアの豚

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2010年の夏。
私はパプアニューギニアの中でも最も近代文明との接触が遅かった場所、タリ盆地を訪れた。そこに住む人々が飛行機を初めて目にした時「巨大な鳥が来た」と、慄いたという。西欧人とのファーストコンタクトはわずか数十年前だという。まさに、宇宙人との遭遇。

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かつて太平洋戦争の激戦地のパプアニューギニアだが、タリの住人は戦争があったことすら知らなかった。

空港に降り立つと金網に張り付く人、人、人。
皆、誰かを迎えに来ているのではなく、どんな外国人が降りてくるのかと興味津々。そんな中、まるでペットのように子豚の首に紐をつけて歩いている人々をよく見かける。

約一万年前に東南アジアからオセアニアに持ち込まれた豚。パプアニューギニアのクック遺跡からは約一万年も前の地層から農耕が行われていた形跡が見つかっている。メソポタミア文明と同時期に農業が始まっていたということだ。

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タリでは約250年前にサツマイモ中心の農耕が確立し、耕されているサツマイモは20種類以上。イモの収穫が終わった直後の畑に放されるのが豚。エサになる小さなサツマイモを畑に残しておくことで、豚は畑を歩き回り、芋を掘り返し、地虫なども一緒に食べてくれる。豚の糞が肥にもなり、芋を再び植えるのに最適な土壌になっているという一石二鳥。非常にシンプルで合理的な農耕、農業に豚が役立っている。

日常生活の中では、食事の為に豚が殺されることはほとんどなく、豚は貴重な財産になるという。例えば、婚資として、また喧嘩の和解、戦争賠償としても豚が使用され、豚を食するときは大切な儀礼の時のみ。

食べるものに困っている時でさえ、豚を食べてしまおうとは思わない。収入が得られないときでも豚に与えるエサは惜しまないそうだ。

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滞在中、私はタリのお葬式に遭遇した。まだ辺りが群青色の夜明け前の道を人々は皆一様に豚を連れて歩いていた。一体何が起こるのだろうと後を追うと、広い空き地にたどり着いた。そこに集っていた豚の総数およそ200頭、尋常な数ではない豚に目を疑った。女性達は死者を偲んで泣き叫び、男性と幼い子どもたちは木の棒で豚を叩いて屠殺していた。

その時を豚も知っていたようだ。凄まじい断末魔の豚の悲鳴、耳を塞がずにはいられないほどだった。土に掘った穴に熱した石を放り込み、木に豚を吊るしてバナナの葉を被せ囲炉裏のように豚を蒸す。

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私は子どもたちの逞しさに圧倒され、大人が豚を解体する様子を見入った。一度にこれほどの数の豚の大屠殺を目にすることになるとは思ってもいなかった。これだけの数の豚が集うとは、亡くなった方はさぞかし身分の高いお方だったのだろう。

切り分けられた肉をどのように分配していたのかはわからない。身分の差なく平等に配っていたのだろうか。「どこどこの だれだれさん!」と拡声器で呼ばれた人は豚の肉を大切に受け取って帰路につく。

その夜、遠い日本から来たのだからと地元の人々は私にも豚を振る舞ってくださった。笑顔で出されたら、笑顔で食す。サツマイモを食べて育った豚の肉は、とんでもなく美味しかったという事実は認めざるをえない。

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それにしても、子豚のときから可愛がってきた豚を殺して食べるのはどういう気持ちだろう。豚を私にもてなすとき、彼らはとても幸せそうな笑顔。
生きていくっていうのはこういうことなのだと、彼らの力強い野生に圧倒される。

なぜ豚がこんなに大切にされるのか?と問えば、豚以外の動物はお金にならないからだと。
では、なぜ豚がお金になるのかしら?と問えば、昔からの習わしだとなる。

生きた状態の豚だと500キナ(約2万円)で売れ、切り身になってしまうと200キナ(約8千円)ほどに下がる。

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育てた野菜や珈琲を売って手にするお金は数キナほどにしかならないとなると、豚の価値は莫大だ。この豚を売ったら子供を学校に通わせられる、飛行機に乗って首都へ行ける、というレベルの財産。

大量生産、大量消費で何の感謝もされずに残飯として捨てられてしまう豚よりも、パプアニューギニアの人々のように、豚の一生と向き合い、美味しい美味しいと、笑顔で食べてもらう方が豚は幸福かもしれない。

「雑に食べたものは全部自分に返ってくる。」という誰かの言葉が突き刺ささった。
豚に真珠とはもう言えない。

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