2013.11.12

小笠原諸島-日本の原風景

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本州からもっとも遠い東京、小笠原諸島。空港がない島へは東京から船で約1000キロ、およそ25時間かけて辿り着く。
太平洋のど真ん中で下船すると、昨日まで味わっていた都心の寒さが嘘のような2月の小笠原。港はお出迎えの人で活気に満ち、素朴な南国ムード。

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その昔、漁師さんが「滑りにくく歩きやすい」ということから好んで履いていたという漁業用サンダル、略して「ぎょさん」。さっそく売店で購入。さっきまで履いていた重いブーツを脱ぎ、ぎょさんに履き替え民宿に向かう。人々の歩く速度も心持ちスローだ。

30あまりの小さな島々があつまる小笠原諸島。その島々の名前は父島、母島、兄島、弟島、姉島、妹島、聟(むこ)島、嫁島、媒(なこうど)島などなど、家族が勢揃い。ちなみに、人が暮らしているのは父島と母島だけ。

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実は、小笠原に最初に移り住んだのは日本人ではなかったという。安土桃山時代の武士、小笠原貞頼が発見したことから小笠原島と名付けられたらしいけれど、その貞頼という人物が実在したことが否定されているなど、なかなか奥の深いミステリーを抱えている。
発見後、幕府は絶海の孤島小笠原に興味を示さず、無人のまま放置されていたという。
19世紀に入って、小笠原が捕鯨船の重要な補給基地とし脚光を浴び、クジラを追ってこの島にやって来た欧米人やハワイ人が最初の移住者となったという。
その最初の移住者の子孫であるセーボレーさんにお会いすると、印鑑を作るために「瀬堀(せぼり)」と当て字をつくって暮らしてらっしゃることもわかった。もちろん英語もペラペラで、お喋りしているとちょっとふしぎな感覚に襲われた。

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大陸と一度も陸続きになったことのない小笠原諸島だが、海を越えてやってきた動植物も沢山いて、過ごしやすい場所で生きやすいように進化したこの島の固有種も多く見られる。
オガサワラコウモリや、メジロならぬ目の周りが黒いメグロは世界でもここにしかいない貴重な固有種。
外来種を持ち込まないように、下船の際には靴に付いた泥を海水で洗い流して南島に上陸。
すると、注意深く歩かないと踏んづけてしまいそうなほど砂浜一面に隙間なく横たわっている、ヒロベソカタマイマイと呼ばれる貝殻を見かけた。この島にだけ生息していたカタツムリの一種だそうだ。
1000年前には生きていたであろうマイマイが硬い殻に守られながら砂に埋もれ、絶滅しても尚無数の死殻が、半化石となって地球にいたことをここで証明している。 渦を描いた淡いピンク色の殻が美しく、おもわず持ち帰ってしまいそうになるけれど、お持ち帰りは禁止。
島の自然は島の人々に愛されながら大切に守られている。

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小笠原諸島近海では一年を通じて野生のイルカに出会うことができ、人懐こいミナミバンドウイルカを見つけたら一緒に泳ぐことができるという。
イルカと泳げるのならと、泳ぎが苦手な私は海で潜る特訓をした。
地元のダイビングショップのおにいさんに、日没寸前まで練習におつきあいをしていただいた。
後でわかったことだけれど、このおにいさん、実は私の母校の先輩だった。教師を目指していたとき、実習で来た小笠原の魅力にとりつかれ移住。ダイビングショップを営みながら、自らダイビングを教えてらっしゃるという東京出身者だった。もっと早く知っていれば、もう少し会話も弾んだのに!?

それはさておき、海で出会ったのは、ミナミバンドウイルカではなくハシナガイルカ。驚くなかれ、その数なんと200頭。船の上からはハシナガイルカの前転やバク転もたのしめた。
また、小笠原は日本のホエールウォッチング発祥の地でもある。イルカと泳ぐ夢は叶えられなかったけれど、夢のようなイルカの大群に出会え、さらに何頭ものザトウクジラにもお目にかかれたのだから大満足だ。

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太陽が水平線に沈む瞬間、エメラルドグリーンの閃光を放つ時があり、それをグリーン・フラッシュGreen Flashと呼ぶのだと地元の方に教わった。

運が良ければそんな奇跡の瞬間を眺めることができるということで、父島の三日月山展望台へ。
すでに多くの人が神秘的な光景を静かに見守っていた。
この展望台からも、何頭かのクジラが大きく潮を吹いているのが遠くに見えた。

父島の千尋岩は真っ赤なハートに見えることから、通称「ハートロック」と呼ばれ、そのハートは母島の方を向いている。「父ちゃんから50キロ離れた母ちゃんに常にでっかいハートが示されているんですよ。」と、ガイドさん。
なるほど、いつまでも付かず離れずの位置、それが重要なポイントなのね。

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シュノーケルで覗いた海の世界は、カラフルな魚たちが集う竜宮城のようだった。

宿から徒歩2分くらいの港では毎晩のように釣りができ、釣ったイカは夕飯のお刺身に。
豊かな海で獲れる夕食のおかずを、こんな風にいただけるのもありがたい。
朝食時に「みなさん、今日の晩ご飯はカレーですからお昼はかぶらないように調整よろしくお願いします。」と知らせて下さる宿のおとうさんの心遣いもうれしい。
たくさん作ったカレーは翌日の朝食にもなる。
一晩置いた具沢山の朝カレーは、一層美味しくなっていた。
なんともアットホームな島生活。

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まるで「ハウルの動く城」のような、改装中のお向かいの宿。そこでの一日は、毎朝丁寧に花に水やりをしているおかみさんとお辞儀をして始まり、夜は宿泊客の奏でる尺八の音色が響いていた。

時折通る自動車の品川ナンバーを目にして「あ、ここは東京都なんだっけ」と自覚する。

山の中では、濃いピンク色の寒緋桜が東京より一足先に咲いていた。
緋は赤の意味。元々は「緋寒」だったそうだけれど、「彼岸桜」と間違えやすいから寒緋としたそうだ。
木陰で人に教えてもらわなければわからないくらい、木陰でひっそりと咲く引っ込み思案な桜だったけれど、近づいてみると、暗闇の中でも鮮やかに明るく凛と咲いていてとても美しかった。

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二週間滞在したこの島を離れる日には、いつのまにか島で出会った人々がまるで親戚のように感じられた。

出航前には港に多くの人が集まり、島寿司や手作りのカツサンドを持たせて下さったり、小笠原諸島の花でつくったレイの花飾りを幾重にも首にかけてもらいながら抱擁をかわす。
夜なべして作ったレイだと聞いて、どうしてこんなに親切にしてくださるのかしら?と動揺する。
大きな汽笛とともに船が港を離れると、サヨナラの代わりに「いってらっしゃい!また来てね!」と島民からの盛大なお見送り。
お別れはここだけでは終わらず、私たちを乗せた小笠原丸が出港した後も、何艘ものボートの上で最大限に両手をふってどこまでも追ってきてくれている。ついには海にダイブして、海の中からも大きく手を振って私たちを見送ってくれる小笠原の人々。

わたしは首に纏った花飾りをそっと外して海へ放ちながら、みんながこの島に移住してしまう理由がわかる気がした。

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