2013.09.10

平泉-
田野と化した姿に漂う愁いや静謐

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平泉を訪れた日は雨だった。

低い曇り空に覆われた町は、黒く統一されているせいか重厚な気配に満ち、どことなく寂しさも伴っていると感じたのは私だけだろうか。

平泉駅から歩いて数分、藤原氏三代目秀衡が建立した無量光院跡に辿り着くと、金鶏山のみ形を残し田野と化してしまった姿に、往時をしのびがたくちょっぴり拍子抜けするが、松尾芭蕉の句がしっくりと当てはまり妙に感心してしまう。

三代の栄耀一睡の中にして、
大門の跡は一里こなたに有。
秀衡が跡は田野に成て、
金鶏山のみ形を残す。

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この無量光院は京都の平等院鳳凰堂をモデルに建てられたといわれている。現在進行形で行われている発掘作業でわかってきたことは、池に点在していたであろう島の配置まで平等院にそっくりだという。

今からおよそ八百年前の11世紀、奥州の首都となった平泉。その最後の栄華を築いた藤原三代。初代清衡はここで山ほど産出する黄金と馬を経済の基盤とし理想とする国家を築き上げた。かつては夥しいほど存在していたであろう館や仏堂伽藍、その装飾のなんと華々しかったことか。身分の高いご婦人方の装束も京に劣らない壮麗さだったに違いない。

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京とは独立した国を確立し、十七万騎もの兵力を持っていたにもかかわらず源平を制覇しようとしなかったのは何故か?

奥州の馬やアザラシの皮、黄金や絹織物を献上し京に属すようなかたちをとっていたのは何故なのだろう?

天下をとろうという欲は微塵も無かったのか。人なら誰しも心の片隅にそのような欲があったのではないか。 京と似ている点が多いのは、造設のために中央から職人さんをかき集めたためなのか?

私の頭の中は疑問だらけ。京を模倣としたような立派な寺院や庭園を築いたのは、奥羽の人々が中央の人々の偏見に対して「どんなものだ!」と栄耀栄華の象徴を見せつけるためであり、京への対抗心のあらわれだったのではないかと思えて仕方ない。と、ひとりつぶやくと「そういう想像もまた歴史のロマンですね~」とガイドさんも隣でつぶやいた。

無量光院の往時の姿も然ることながら、中尊寺の金色堂や毛越寺の庭園がまた素晴らしい。
金鶏山を背にして月見坂に足を踏み入れると次第に町の喧噪は遠ざかり、老杉の並木道を奥に進むにつれタイムスリップして時代を遡っていくような感覚。

この金鶏山は三代秀衡が富士山を模して築いた人工的な山だという。
しばらく歩くと視界が開け、眼下に義経が戦った衣川が広がっていた。有名な弁慶立ち往生のお話を聞きながら弁慶堂を参拝。

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ようやく辿り着いた金色堂の周辺では高く伸びた老木の中で蝉時雨がわんわんと頭上に降り注いだ。

『五月雨の 降りのこしてや 光堂 』と、芭蕉が詠ったようにかつてはこの木立の中で金色堂が燦々と輝いていたのだろう。その金色堂が覆われ始めたのはいつの頃なのか。傍には旧覆堂が残されている。藤原氏亡き後もこうして人々が守ってきているのだ。

現在は耐震・耐火、防虫・防塵も考慮に入れたコンクリートに覆われているが、コンクリート内には金色堂を目指して観光客が押し寄せ、煌煌と明るい照明の中で機械から音声案内が大きく堂内に響くのが少しもったいない気がした。差し出がましくも、金色堂はもっと照明を落とし静謐な空間にしたほうがよいのではないかと思った。

藤原4代のご遺体が納められている場所でもあり、本来なら私のような一般の人間が簡単には拝めないような神聖な廟堂だったのなら、単なる観光名所であってはならないような気がするのだ。

金色堂へ続くゆるやかな石段の脇、言われなければ見過ごしてしまいそうな場所に宮沢賢治の詩碑がある。

七重の舎利の小塔に、蓋なすや緑の燐光。
大盗は銀のかたびら、おろがむとまづ膝だてば
赭のまなこたゞつぶらにて、もろの肱映えかゞやけり。
手触れ得ね舎利の寶塔、大盗人は禮して没ゆる。

お宝を盗もうとやってきた大物の盗人が、結局は宝塔に手をつけられず畏敬の念を抱いて礼をして去って行ったという詩。

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その大盗とは藤原氏を滅ぼした源頼朝を象徴しているとも言われている。 頼朝も一時は金銀財宝に目を奪われたけれど、供養の目的で永福寺を建立し、金色堂を保護するために覆堂を造設したという。ここで盗人を登場させるなんてさすがだなと、宮沢賢治の詩に対しても感服してしまう。

藤原氏二代目基衡が造立した毛越寺を訪れると、大泉池を中心とした奥深い浄土庭園の造りにすっかり魅了された。中でもわたしが殊更感動したのはそこに存在する「音」だった。池に水を引き入れるために造られた水路には、水切り、水越し、水分けなどの石組みが配されていて、これを遣水(やりみず)と呼ぶらしいのだけれど、その遣水に流れる水の音が風鈴に匹敵する美しい音色に「なんて雅なのだろう」と聞き惚れてしまった。

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平泉を訪れた際の醍醐味は、各々の想像力で描くそれぞれの往事の風景なのかもしれない。田野と化した姿に漂う愁いや静謐さ、そこに秘められたストーリーこそ美しく、形が残っていないからこそイマジネーションを駆使して想いを寄せることができる。

東日本が大震災に見舞われた2011年にユネスコ世界遺産に登録された平泉。戦乱により荒廃した土地を清衡公が浄土世界の理想郷として復興した場所であったならば、その想いは現在にまで生き続けているのではないだろうか。

この国の自然や文化、美しさを日本の宝として大切に守り、前進していきないさいという藤原氏と蝦夷の人々の魂が私たちに伝えているのかもしれないとすら感じる。平泉は日本が世界に誇るべき東北の文化遺産だと思った。

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閑話

私の歯を跳ね返すほど逞しくゴムのように頑丈な麺で、慣れるのにちょっと時間がかかった「盛岡冷麺」や、安くてお腹も膨れ 種類も豊富で 学校給食でも配給されているという「福田パン」など、盛岡名物も味わいました。
福田パンは 私は迷うことなく「あんバター」を選択。あんこだけじゃ何か物足りない。あくまでもあんとバターなんですよね。
次回 訪れる際はぜひ「椀子蕎麦」に挑戦したいと思います。

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