2013.08.13

古代からの記憶
-Swimming Elephant

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なんでもね、何キロも泳ぐゾウがスリランカにいるらしいんですよ。泳ぐゾウ??そう。ゾウが長距離を泳ぐんです。でもまだその映像はどこにもない。スケジュールが合って一緒に行ければいいんだけど。ただ今回は内戦の激しかった東海岸と北部に行くのでちょっと申請に時間を要するかもしれない。

それから一年あまりが経ち、向かった先はスリランカ東部に位置するガルオヤ国立公園、セナナヤカ・サミュードラ湖。ダムによってできた大きな人造湖だ。

果たしてわたしたちは泳ぐゾウに出会えるのか。ここからは、ひたすらゾウに注意を向けながら湖で捜索の日々が続いた。どの島から泳ぎだすのか分からないので2班に分かれ、あちらこちらの島を見張りトランシーバーで連絡を取り合うことに。

すると、ゾウはどうやら島にはいる様子。しかもファミリーで。陽射しを遮ろうにも屋根が無い湖の炎天下、お日様がてっぺんに近づくにつれ陽射しは容赦なく照りつけ、わたしの肌はみるみるうちに小麦色に変わってきた。この暑さじゃ、ゾウたちも日陰から出てこないだろう。

それにしてもここは、都会ではあり得ない程の静けさに満ちている。耳を澄まさなくとも聞こえてくる鳥のさえずりや動物の鳴き声。時折、水面からニョッと現れるワニの姿にいちいち驚く。

こんなに何日も日の出から日没までひたすら待つことが日常の中であるだろうか。都会にいるとエスカレーターは待たずに駆け上がるし、エレベーターの閉まるボタンはすぐに押すし、信号待ちにすらじりじりするし、お店の行列に並ぶなんて私の中ではあり得ないし、渋滞なんてとんでもない。それほど緊急な用事なのかと思う程、どこでも誰でも携帯やスマートフォンをいじっているのに、ここでは明らかに時間の流れ方が違う。

ゾウ時間。

さて、ひたすら待つこと3日が過ぎた。もうじき日も暮れる、もうだめかな。現れないのではないか。プカプカ浮くボートの上で諦めかけたその時、遠方に何かを察した。

「あ!」島の先端にゾウがいるではないか。あのゾウ、湖に入る。絶対入る。

私たちを乗せたボートは急発進してみるみるうちに泳ぐゾウに近づいていく。 ネッシーのような、大きなカラダ。クジラのように時折プシューッと潮を噴いているようにも見える。近づけば近づく程とてつもない迫力。

ゾウだ。ゾウが泳いでいる!

目の前でゾウが淡水の湖を必死に泳いでいる。
かなり深いはず。
あんな大きなカラダで溺れたりしないだろうか。
向かいの島まで500m以上はあるのではないか。

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見れば見るほど巨体のゾウの必死さに声援を送りたくなり胸が熱くなってきた。たった一頭で泳ぎきった大きなカラダは振り向きもせず何事も無かったように茂みの中へ消えていった。まるで幻を見たようなふしぎな余波。泳ぎきったゾウの大らかな背中に私は「ありがとう!」と声をかけずにいられなかった。

他の生物がいない島にはゾウの好物でもある新芽の柔らかい草が生えている。かつてこの湖は歩いて渡れる川だったが、広大な湖となってしまった今、ゾウは泳がなくては辿り着けない島になってしまった。

ゾウはとても記憶力がいい。美味しい草がその場所にあることを親から子へと伝え、餌不足の乾期でもそのエサを求めて島から島へ泳いで渡るのだという。こうして古代からの記憶が脈々と受け継がれ、命を繋いでいる。

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多摩動物公園にスリランカから寄贈されたゾウのアヌーラ(60歳)は、現在では日本最高齢のゾウさんだけれど、今日に至るまでには死を覚悟するほど体が弱っていたこともあるという。その時の信じられないエピソードがある。

同じ動物舎で暮らしていた2頭のゾウが、衰弱しきって体を横にすることすらできないアヌーラを両脇から2頭で挟むような形で倒れないように支えていたというのだ。それも一日だけでなく何日も何日も。まるで2頭で話し合ったかのように代わりばんこに水を飲みに行き片時もアヌーラから離れようとしなかったという。この3頭のゾウの血縁関係は全くなく、ただ同じ動物舎で一緒に過ごしていただけの関係。

なんて仲間意識の高い動物だろう。そして、そこにはスリランカの人々が大切にする「助け合いの心」がゾウにも共通してあるのだと感じた。

スリランカで行われた仏記2500年祭・建国2500年の式典に参列された三笠宮殿下・妃殿下を通じて、日本の子どもたちに贈答されたアヌーラは今からおよそ50年以上も前、3歳のときにゾウ使いが付き添いながら来日。その後すぐにゾウ使い(マホー)とはサヨナラしたのだろうけど、スリランカにいたときに覚えたであろうマホーが使用するシンハラ語での指示語をいまもきちんと理解しているという。

わたしの目の前で飼育員さんがアヌーラにマホー語の指示を発すると、鼻を上げたり、座ったり見事に従っていた。

「実は僕も最近このマホー語を勉強し、使うようになったんです。ゾウ使いのいない今も何十年経ってもきちんと理解しているのですから驚きですよね。」と飼育員さん。

このマホー語は、スリランカのシンハラ語ともまた違い、ゾウとマホーだけに通じるコミュニケーション言語だという。やはりゾウはあたまがいい。

ゾウは仲間の死を認識し、涙も流すという。しかも何十年という月日が過ぎても死んだ仲間のことを覚えているという。

人間には聞こえない低周波で何キロも先にいる仲間とコミュニケーションをはかれるなんて、モノに頼り、自分たちこそが高等動物だと思い込んでいる人間より遥かに優れているのではないか。

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およそ5日間、湖に通い詰めで、わたしは湖へ向かう早朝の道がとても好きだった。
緑が燦々と輝きとても清々しかった。田んぼの脇で沐浴する人々や、美しい黒髪を三つ編みに結って、白いワンピース姿で学校へ向かう少女達。籠に溢れんばかりのパンを積み、汗をかきながら自転車で運ぶおじさん。
遠方には白い仏舎利塔が水面にまばゆく反射していた。仏舎利塔の下方には縁起の良い動物として何頭ものゾウの彫刻が施されている。

「あの仏塔はねジャパニーズ・ピース・パゴダ(日本の平和の仏塔)と呼びます。日本の僧侶が修行しているんですよ。伝承では仏陀は3度スリランカを訪れているんです。満月の日(ポヤ・デー)には仏教徒たちは身近にあるお寺へ捧げる蓮の花を手にして参拝にでかけます。聖なる山スリー・パータの山頂には仏陀の足跡があり、巡礼者達が山頂を目指すのですがとても険しい山です。
でもその足跡、仏教徒にとっては仏陀の足跡なのですが、キリスト教徒やイスラム教徒にとってはアダムの足跡、ヒンドゥー教徒にとってはシヴァの足跡に変わるんです。スリー・パータはそれぞれの宗教の聖地なんです。」 と、現地の方が教えてくれた。

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その昔インドとスリランカを繋いでいたという砂州で出来た道が、スリランカ北部のマンナールからインドまで現在7つの小島になって橋脚のように点在している。その道は「アダムス・ブリッヂ」と呼ばれ、島の周りは水深1~10mの浅瀬が広がり、ボートで島に上陸するまで本当に辿り着けるのかと心配になったほど浅く困難だった。

私はスリランカ側から3番目の島に上陸させてもらい、上空からもその古代の道を見させてもらう機会を得た。インドの古代叙事詩「ラーマーヤナ」では、ラーマ王子がシータ姫を助けにランカー島へ渡る際、ここに橋を架けたという伝説がある。この全長48kmの砂の道をかつては歩いて渡れ、教典や人や、そしてゾウもこの道を通ってやってきたという。今となっては、スリランカはゾウだらけ。

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そして町中に「ゾウ注意」の看板。まさか、こんな車道に現れるかしら…と、思っていたが、ある日、道路のすぐ脇をゾウの大群が歩いていたことがあった。車が往来するすぐ脇で、のそのそと移動しながら静かに草を食べてるゾウたちがいた。

本当に "ゾウ注意"。

農家に現れたゾウに人間が襲われることもあるそうだ。土地を開墾していきゾウの住処を奪ってしまっているからだろうか。

「人間を大切にするか、ゾウを大切にするか、切実な問題なのです」と地元の人。人間とゾウのあいだのトラブルは絶えないという。

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スリランカではゾウは神聖な生き物とされているため、彼らはゾウを殺さない。およそ30年続いた内戦のさなかでもゾウを殺さなかったという。人間同士は殺しあっているのにゾウは殺さないなどと聞くと、なにか矛盾しているようなおかしな話しだが、地雷で足を失ったゾウもいるというのだから、罪のない人々や、動物の命を奪う地雷はなんて残酷で卑怯な凶器だろうかと痛感した。

数年前にコロンボで参列した仏教行事「ペラヘラ祭り」では神の使いとされるゾウが華やかに着飾り聖なる仏歯を背中に乗せて街を練り歩く重要なお役目を果たしていた。スリランカの人は皆口々に「次はぜひ仏教の聖地キャンディを訪れるように」と私に勧める。

ゾウにご縁があると勝手に思っているのだけれど、いつの日かキャンディを訪れる機会に恵まれたならぜひスリランカで最も有名なキャンディのペラヘラ祭りでゾウの大行進を拝ませていただきたいと思う。

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